人生は、何が起こるかわからない。一寸先は闇。応仁の乱以降、すべてが流動的でかりそめのものだった、戦国時代における日本人の脳の使われ方は、現代とはまったく異なるものであった。
最近の若者は、安定志向だと言われる。公務員の人気が高く、できれば「正社員」という傾向も強い。大学3年の12月を迎えると揃いのリクルートスーツを着て会社訪問に向かう学生たちの姿は、現代日本の心根を象徴しているかのようである。
しかし、その現代の日本人と基本的に同じ遺伝子構成だった戦国時代の武将たちは、明日をも知れぬ偶有性の中に生きていた。
今の時代に例えれば、会社を起業して、経営が変化の大波にさらされる程度の騒ぎではない。日々、前提が覆り、組織や肩書が変動し、命さえも危ない。そんな状況の中で初めて発揮される人間の底力というものがある。
フィクションを消費することで、人間の脳は、生きるうえでのシミュレーションをしている。戦国時代の物語がいまだに人気を保っているということは、日本人の心の中のどこかに、「偶有性の海」で泳ぐことに対するあこがれがあるということだろう。
信長急死の知らせを受けて、急遽引き返す秀吉の軍勢の気持ちを、想ってみればよい。そのときに何が求められるか。ありありと想像することで、偶有性の回路が鍛えられる。