インターネット上で大量の情報に接することが当たり前になった現代。ネット上に記事や動画がいくらでもあるから、本を読まなくてもよいという考え方も時々耳にする。その一方で、「本を読みたい」「本を読まなければならない」という気持ちは多くの人が持っている。なぜ、「読書」という体験は今も根強く支持されているのだろうか?
人間の脳は、自分に必要な情報を本能的に察知して、それを貪欲に吸収しようとする。ネット上に情報があふれる現代において、私たちの脳が本を求めることには、それなりの理由がある。
第一に挙げられるのは、情報の「強度」である。ネット上にあるテクストや動画などの情報は日々更新され、その時々の状況を伝えてくる。意味のあることだが、ともすれば一時的で薄味なものになってしまう。
一方、本は、著者が長い時間をかけて蓄積した経験を凝縮して、読者に伝えようとする媒体である。そこには多くのエネルギーと思いがこめられている。一冊の本には、それだけの「元手」がかかっているのである。
著者だけでなく、編集、デザイン、営業など、出版にかかわるさまざまな人の思い、人生がかかった本は、それだけ生物のシグナルとしての強度が大きい。読者の側から言えば、効率よく情報を得ることにもつながる。
本は、読むことによって心を動かされたり、気づきを得られたりして、結果として人生が変わることも多い。強いシグナルの情報を受け止めて、脳が変化するのである。
本は、ネット上の情報に比べて、「脳の認知的負荷」が高い
実際、私自身の人生を振り返っても、一冊の本との出合いによって人生が変わってきたといえる。小学校5年生のときに読んだモンゴメリの『赤毛のアン』を通して、日本以外の国々の文化に興味を持った。高校生のときには原書で読んで、英語力が飛躍するきっかけになった。やはり小学校5年生のときに読んだアインシュタインの伝記で物理学に関心を持ち、後に科学者を目指すことにつながった。
大学院生の頃に読んだペンローズの『皇帝の新しい心』を通して、人工知能に興味を持ったことが、博士号取得後に脳科学を始める動機づけとなった。最近では、「シンギュラリティ」に関するカーツワイルの著作『The singularity is nearer』(日本語には未翻訳)が、今後の研究の方向を考えるうえでとても参考になった。
ネットの情報に接することに比べて、一冊の本を読み通すことはそれなりのエネルギーがいるし、根気もいる。だからこそ、読み終えたときの満足感や、学びも大きくなる。
本は、ネット上の一般的情報に比べて、脳に対する認知的負荷が高い。だからこそ、脳のさまざまな思考の回路を鍛える効果もあるのだ。
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