炎上を、一種の「デバッギング」の手段として使うことすらできる。コンピュータ・プログラムの「バグ」(欠陥) を発見し、それを是正する作業のように、ある計画やヴィジョンに対して、反対派からさまざまな異論・反論が寄せられることによって、結果として質を高いものにすることもできるのだ。
このように考えれば、炎上は、カトリック教会がある人物を聖者に列する際に、わざとそのあら探しをさせる「悪魔の代理人」を立てるように、もともとの計画やヴィジョンの質を高める、一つのエンジンと見ることさえできるだろう。
アメリカの代表的なベンチャー企業だって、その歴史の中でしばしば炎上している。フェイスブックが、プライバシーに関するポリシーの変更のたびに炎上していたのは記憶に新しい。iPhoneも、アンテナの感度をめぐって炎上したことがあった。
一般に、従来の社会のルールや制度を書き換えるような「破壊的イノベーション」の推進においては、炎上は避けられない。新しいものが社会の中に受け入れられるプロセスを考えれば、むしろ、望ましいとさえ言ってよい。
炎上は求めてするものではないし、やたらと世間をお騒がせするのも愚かである。自分のヴィジョン、プリンシプルを貫き、それをストレートに表現した際に、既存の考えや旧来のやり方と衝突するというのが、一番筋のよい炎上であると言えるだろう。
冒頭に挙げた起業家とは、実は堀江貴文さんのこと。そのお話は普遍的な意を持つ。炎上を無闇に恐れていては、新しいビジネスなどできない。
(写真=AFLO)