400億円の支援をめぐる日米の対立
実際、イランとの関係を重視する日本とイランに強硬姿勢をとる米国の間で、激しい議論となり、意見の不一致が生じることもめずらしくありませんでした。たとえば、1993年、イランのカルーン第4ダムプロジェクトに対して、日本政府がイラン政府に約400億円の円借款を拠出する際にも、日米間で摩擦が生じました。
最終的に日本政府は円借款の供与を決定しましたが、これは、原油の安定供給の確保のためにイランとの関係強化を優先した結果です。2004年、国際石油開発株式会社(現INPEX)が中心となった日本企業のコンソーシアムが、イランのアザデガン油田の開発利権の75%を獲得した際にも、日米間で摩擦が生じています。
アザデガン油田開発については、2000年からイラン側との交渉が始まっていて、2002年にイランの核開発疑惑が生じると、米国から油田開発に参加しないように強い圧力がかかりました。
にもかかわらず、最終的に日本企業の国際石油開発を中心としたコンソーシアムは、油田利権の75%の獲得に成功したのです。しかし、その後、核問題に関するイランへの国際的な圧力は強まる一方で、2006年に日本企業のコンソーシアムは、利権の割合を75%から10%に落としました。
失った石油の利権を手に入れた中国
さらに2010年、米国が国際石油開発帝石(帝国石油との合併で改称)を制裁対象にする動きを見せたため、同社は、アザデガン油田開発からの完全撤退を余儀なくされました。その結果、このプロジェクトは、中国企業が引き継ぐことになります。
もともとイランは、日本にとって重要な原油の供給元で、日本もイランの油田利権を保有していたのが、米国とイランが対立を深めるなかで、イラン産原油も、イラン油田の権益も、ともに日本から中国に移っていったのは、何とも皮肉な話です。
近年は、かつてのように、イランをめぐって日米間で激しい摩擦が起こることもなくなりました。省エネや再生可能エネルギーへのシフトで、原油の重要性が相対的に低下したことが一つの理由です。
もう一つの理由は、日本を取り巻く安全保障環境の変化です。北朝鮮の核・ミサイル開発問題や中国の軍事的台頭によって、イランとの関係よりも、自国の安全保障に直結する日米同盟関係を重視せざるを得ない状況になった、ということです。
さらに、日本の対中東外交、とくにペルシャ湾地域外交において、現地で圧倒的なプレゼンスを有する米国との調整は必要不可欠です。とはいえ、米国の同盟国でありながらイランとも良好な関係にある日本を米国の方が必要とした場面も時にありました。

