ヒヨク米に2種類の塩昆布をブレンド

包みを開けると、まず、塩昆布のいい香りが漂う。おこわを頬張ると、もちもちした弾力。ときどき大豆も出てきて、噛むたびに食感の変化を楽しめる。塩昆布がまた抜群の塩梅で、一口、もう一口と、止まらない。

真ん中にのったカリカリ梅もアクセントになり、最後まで飽きることがない。お茶碗中盛りくらいのボリュームがあるのに、いつの間にか完食してしまうのだ。

包装紙を開けると、遠足でお弁当のふたを開けたときのような懐かしい気持ちに
筆者撮影
包装紙を開けると、遠足でお弁当のふたを開けたときのような懐かしい気持ちに

「製造方法とかもよく聞かれますが、特別なことはなにも。材料も作り方も祖父の代から変わりません。ときどき、量が少ないとか多いとか言われますけど、手で包んでますからどうしてもね」と興津さん。

材料もすべて国産で、九州産のヒヨク米、宮城県産のツルノコ大豆、塩昆布は大阪老舗昆布店の「小倉屋山本」と「小倉屋」に特別オーダーした2種類をブレンド、小梅は黒門市場の漬け物専門店「伊勢屋商店」から取り寄せた甲州産のカリカリ梅を使用している。

それにしても、なぜ和菓子屋がおこわを作ったのだろうか?

「甘くない和菓子を作りたい」が始まり

「絹笠」のルーツは、1867年創業の「松花堂」。神戸・元町で瓦せんべいを製造販売していたが、戦後統制によりやむなく廃業した。1948年に、興津さんの祖父・岡本大三さんが、「御菓子司 絹笠」として復活させた。

おこわを作ったのは、初代・大三さんが、「甘くない和菓子を作りたい」と思ったのが始まり。競争の激しい和菓子業界で、ほかの店と差別化を図るためだった。もち米と大豆という、和菓子の材料で作れることも都合がよかった。

興津さんは、「伝え聞いた話ですが」と、意外なエピソードを話してくれた。

「祖父は、昭和天皇に仕えた侍従長の入江相政いりえすけまささんと仲良くさせていただいてたらしく。大阪・天王寺の料亭で会食中に豆ごはんが出てきたとき、『宮中では黒豆ごはんを食べている』と聞いたとか。それをヒントに大豆入りのおこわを考案したようです」

大三さんは、1997年に他界したため、今となっては詳しい経緯を聞くことはできない。

この話を聞いたあと、取材に同席していた総務部長の中原弘尚さん(45)が、額縁入りの書を見せてくれた。そこには、入江相政氏の名と、「絹笠」の焼き菓子「商あきない」の文字が書かれていた。

社長室に飾ってある、故・入江相政氏の書
筆者撮影
社長室に飾ってある、故・入江相政氏の書
「絹笠」創業者の岡本大三さん(中央)。当時の旭区長夫妻と
筆者撮影
「絹笠」創業者の岡本大三さん(中央)。当時の旭区長夫妻と