初代には娘3人、跡継ぎがいなかった
今回話を聞いた5代目の興津さんは、1969年、大阪・堺市出身。父親は会社員、母親は創業者・大三さんの長女で、3人兄弟の次男として生まれた。
「子どもの頃はとん蝶の記憶はあまりなく、プリンやゼリー、シュークリーム、エクレアなど洋菓子ばかり食べていました。祖父の家に遊びに行くと、おやつが食べ放題。帰るときも、袋一杯にお菓子を持たせてくれました。夏休みの旅行は毎年、祖父が計画を立ててくれて、グリーン車で三重の賢島や加賀百万石へ連れていってくれました」
大学ではサッカー部で活動し、サッカー好きが高じて、地元の少年サッカーチームのコーチを務めるようになった。大学卒業後は、生花卸の仕事に就く。コーチ業と両立するため、早朝から始まり、午後の早い時間に終わる仕事を選んだ。
「祖父には、子どもが3人いて3人とも女の子。跡継ぎがいないから、自分の代で終わると思ってたみたいです」
タイミングよく、興津さんの父親(興津成實さん)が勤めていた会社で定年を迎え、「絹笠」に入社した。
妻→義理の息子→娘→孫へバトンタッチ
1997年、大三さんの亡きあと、妻・岡本房子さんが2代目に就任し、2002年、興津さんの父親が3代目を継いだ。
興津さんは、叔母(大三さんの三女・岡本具子さん)からの誘いで、2006年に37歳で「絹笠」の社員になった。
「ほかの兄弟はそこそこ立派なとこに勤めてたんで、声をかけやすかったのかもしれません。祖父が作った会社ですから、できるだけ続けたいと思いました。生花から和菓子へと扱う商品は変わりましたが、鮮度や季節感を大切にする点は共通していると感じました」
配送や営業の仕事に10年ほど従事した後、4代目・岡本具子さんからバトンを受け継ぎ、2014年、45歳で5代目に就任した。
「前職の社長はとてもよく働き、社員のことも大切にしていました。仕事への向き合い方や、人との縁を重んじる姿を間近で見てきたことが、今の自分の経営方針にもつながっていると思います」
ところが、経営を引き継いで6年後、コロナ禍で苦しい状況を強いられることになる。
