亡くなった実母の姉と再会した
「月夜の花嫁」
私はもう十三になっていた。町の女学校へ通うようになっていたが、あるとき、沖ノ町の堤を通って家へ戻って来る途中、ふいに背後から、「千代さま」と呼びとめられた。私の家が貧しくなってからも、よその人たちはやはり昔と同じように、私のことを千代さま、と呼ぶのであった。「うちの店で、ああたの伯母さまがああたを待っておいでやすでよ。昨日もおとといも待っておいでんされたのでよ」と言うではないか。
ああた、と言うのはこの地方の言葉で、あなたと言うことである。おばさんはついそこで、「いが餅屋」と呼ばれている駄菓子屋を営んでいた。いが餅と言うのは、餡この入った小さな餅の上に、赤、黄、青と色とりどりに染めた飯粒をぱらぱらとのせたもので、私の大好きな餅菓子であった。
それにしても、「ああたの伯母さま」とは誰のことか。まさか、あの高森の伯母がこんなところに来る筈はない、と思いながら振り返ると、そこの店の腰掛けには、見も知らぬ女が坐っていて、「早よ、こっちへお寄りいの。吃驚おしたじゃろうが、わしはお前のお死にたお母の姉さあでよ。お前に会いとうて、毎日、ここで待っとったのでよ」と笑顔をして言うではないか。お死にたお母とは誰のことか。お死にたお母の姉さあとは誰のことか、と私は不審な気持ちを抱きながらも、言われた通り女のそばへ寄って行った。
父は「伯母の家へ行け」と言った
「さあ、お食べえ、旨いでよ」と言って、私にいが餅をすすめてから、「わしの家は鉄砲小路の万福寺の前じゃが、今度一ぺん遊びにお出でえ。お前の従兄の雄一も、中学の三年生でよ。どうでも一ぺん、遊びにお出でえよ」と言ったあとで、ちょっと声を低くして、「じゃが、うちへお往にても、ここでわしに会うたなんどと、いまのお母にはお言いなよ」と言うではないか。
うちへ帰って行ってからも、勿論のこと私は、この伯母と一緒にいが餅を食べたことなど誰にも話さなかった。しかし、不思議なことにあるとき、父は私をわざわざ呼んで、この鉄砲小路の伯母の家へ遊びに行って来い、と命じたのであった。何故か。そんなことを、どうして父に訊いたりすることが出来よう。私はただ「はい」と答えて、そのまま伯母の家へ行った。「やれ、ようお出でたのう。雄一よ。千代さんが遊びにお出でたでよ」と言って、私のためには従兄に当たる、総領息子の雄一を引き合わせたのであった。


