「メタボ中年男性」の動員はグレーゾーン
それでは、こうして体制を整えたロシア軍の再動員はあり得るのか。これを考えるには、2022年の部分動員令が現在も有効か否かという「法的状態」を先に検討する必要がある。
2022年9月の部分動員については、プーチン大統領自身が同年10月末に完了を宣言した一方、動員終了に関する大統領令は今に至るまで発出されていない。何よりロシア国防省自身が2023年に「仮に動員令が失効した場合、動員令において徴募兵に保証された、契約兵と同等の地位は剥奪される」との法令解釈に踏み込んだ見解を示していることから、ロシアは現在も法的には動員令下にあるとの説も有力である。
仮にこの立場を採るならば、上で述べた健康診断基準の改正により、改めて動員令を出すまでもなく、すでに兵士確保の間口は大きく広がっていることになる。前回の発令後、プーチン大統領の支持率が下がったことも踏まえれば、政権基盤が揺らぐリスクをとってまで再発令に踏み切る利点は少なく、2022年部分動員令の有効/無効をあえて明言しない「グレーゾーン」を維持するのではないか。いずれにせよ、ロシアの再動員を議論する際は、召集/契約を問わず兵力を増強している「事実」としての動員と、動員令を出す/出さないの「法的状態」とをしっかりと区別すべきだ。
ただし、いかに病気持ちの者に門戸を開いたとて、前述の「除外リスト」に該当する糖尿病や統合失調症などは徴兵対象にはなり得るが、契約兵にはなれない。また、基準緩和でかき集められたこれらの「メタボ中年男性」たちが戦場でどの程度役に立つかはまた別の問題であり、近ごろロシア政府高官が糖尿病や肥満の蔓延に対する危機感をさかんに言い募っていることも踏まえれば、今回の動きはロシアの苦境の表れと捉えるのが常識的な見方ではある。
「本当の戦死者数」を決して明かさないロシアの思惑
ウクライナ侵攻が、ロシアにおける銃後の医療にも深刻な影響を及ぼしつつあるのは、2025年末に公表された「ロシア連邦ヘルスケア発展戦略」における記載ぶりの変化からも明らかだ。同戦略はその名が示すとおり、ロシアの医療を発展させるための各種施策を定め、大統領令によって承認された最も重要な国家戦略文書である。
戦前の2019年に策定された旧戦略は、国民の健康ではなく「国家安全保障の確保」が目的であると明示するなど、ロシアっぽさは散見されるものの、目標には平均寿命や死亡率などの一般的な疫学指標が掲げられていた。その意味では、他国の保健医療戦略と比べても遜色ない、まともな内容であった。
しかし、本当の戦死者数の推計に利用されることを警戒してか、2025年の新戦略ではこれらの指標はすべて消えた。その一方で、医薬品・医療機器およびその原材料の国産化、技術面の自立度、血液製剤のロシア国内での確保などが新たな目標とされた。さらに、新戦略は不安定な経済状態や非常事態下での遂行を前提とし、挙句の果てには一方的に併合を宣言したウクライナ東部4州における医療システムのロシアへの完全統合まで謳っている。不都合な事実を隠さざるを得ないほど状況が厳しくとも、ロシアに戦争を止める気はさらさらないことが窺えよう。

