自分の番がきたとき完璧に手術するために
回診は朝6時から始まる。吉川は遅くとも5時半には病院に着き、看護師に患者の状態を確認。手術後は、患者が運ばれた病棟まで行って目を配り、カルテに書き込んだ。休日である土日も病床に行き、様子を聞き取ることもあった。
「担当患者がICUでの術後管理を終えて一般病棟へ移ったあとは、病棟担当のチームに引き継ぎます。レジデント(研修医)自身がその後を診ることは通常ありません」
さらに自宅では“糸結び”に精を出した。各種の手術器機が発達したが、今でも太い血管は糸で縛り、針と糸で縫い閉じる。針と糸を使った手技は特に心臓外科には欠かせない。
「アメリカ人のレジデントを見ていると、ある日、突然、(手術を)やってみろと針と糸を渡されていた。そこで成功すれば次に進める。自分の番がきたとき完璧にできるようにしようと考えたんです」
まずは基本の“糸結び”を20分で1000回できることを目指した。その後、わざと脇を開いて、ペーパータオルを縫う訓練に没頭した。
「不安定な状態で縫っても手が震えないようにする練習です。緊張しないように禅の本を読んだり、呼吸も工夫しました」
すべて吉川独自の工夫だ。そして、その日はやってきた――。
「いつも通り、いつも通りと心の中で唱えてました。そうしたら上手くいった。その後、もっとやってみろとどんどん任せられるようになった。半年過ぎた頃には、胸を開けて冠動脈パイパス手術をやっていました」
助手の位置に入ろうとしたら制されて
イエール大学の2年目、心臓弁膜症外科部門の責任者であるサベット・W・ハシムから「自分の専属フェローに1年間なってくれないか」と声をかけられた。
レバノン出身のハシムは世界的な手術の名手として知られていた。彼は吉川が術後管理をきちんと行なっているところを評価していたのだ。
「手術の上手な人にありがちですが、ハシムは人に手術をやらせない。だからぼくはこう言ったんです。私は日本から手術の勉強に来た、ずっとアメリカにいるつもりはない。これまで以上に私に手術を教えてくれるならば、私は全力であなたを支える、と」
ハシムは少し考えさせてくれという返事だった。翌日、吉川はハシムに呼びだされた。吉川の条件を受け入れるという。
ハシムの手術で手術室に入るのは基本3人。ハシム、吉川、専属ナースだ。
「助手の位置に入ろうとしたら“ヨシ(吉川の愛称)、そこじゃない。お前は術者だ”って。そこから400例すべて一緒にやらせてもらいました」
ハシムもまたアメリカでは外国人である。アジアから来た自分に共感を持ったのかもしれないと吉川は考えている。
彼は僧帽弁の形成術において世界的権威だった。
「運針、判断力のすごさ。ものすごく器用なんです。あの人ほど手術がうまい人は見たことがない。それを目の前で見せてもらったことは人生最大の宝です」
今も彼の指の動きは脳裏に刻み込まれていますと吉川は言う。

