1999年、日本で心臓移植が再開。そこに居合わせた医師の吉川泰司さんは、経験を積むため渡米しアメリカの医師免許を取得する。不得手な英語と手術経験の少ない中、世界中から優秀な人材が集まるアメリカの医療現場で、世界的な名医の信頼を勝ち取り最先端の技術を習得できたのはなぜか。ノンフィクション作家の田崎健太さんが聞いた――。
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 23杯目』の一部を再編集したものです。
医師が「心臓を専門にしよう」と決断した瞬間
吉川泰司が心臓を専門にしようと心に決めたのは、大阪大学医学部1年生のときだった。「医学序説」という医療の総論を学ぶ授業に第一外科(現・心臓外科)の教授、川島康生が来たのだ。
「川島先生は心臓移植の話をされました。心臓が悪くなった患者さんに他人の心臓を移植することで元気になる。そんなことができるのかと驚きました」
心臓移植とは、患者の心臓をほぼすべて切除し、脳死と判定された臓器提供者(ドナー)の心臓に置き換える手術である。
心臓移植の歴史は古い。
1967年、南アフリカの心臓外科医が世界初の心臓移植に成功。翌68年、札幌医科大学で日本初の心臓移植が行われている。しかし、この手術はドナー(臓器提供者)が脳死状態だったのか、心臓摘出の時期は適切だったのかと問題視された。法整備の不備もあり、医療倫理、心臓摘出の違法性が問われたのだ。
以降、30年間日本では心臓移植手術が行われることはなかった。このとき、川島が、臓器移植法の法整備などに奔走していたことを吉川は知らない。


