日本画家 千住博

1958年、東京都生まれ。82年東京芸術大学美術学部 絵画科日本画専攻卒業、87年同大学大学院博士課程修了後は世界的日本画家として活躍。滝のアーティストの異名もある。第46回ヴェネツィア・ビエンナーレ(ヴェネツィア、イタリア)にて東洋人として史上初となる名誉賞受賞。近年では、JR博多駅のアートディレクション、軽井沢千住博美術館開館、オペラ「KAMIKAZE」の舞台美術担当(東京文化会館)など精力的に活動している。


 

美術館へ行く、あるいは画集や写真集を眺めることだけが美的な体験ではありません。日々の食事も身近な美的体験の一つなんです。

例えば、この料理はおいしかったというとき、「美味」と書きます。おいしいとは文字通り、美しい味なんです。

私たちはおいしいものを食べると、励まされます。生きていてよかったと幸せを感じる。そして、おいしさの感動を誰かに伝えたくなる……。美的な体験とは活力を与えられることであり、感動を伝えたくなることなんです。

食事をすることは圧倒されるような自然の風景を見ることや巨匠の絵画を鑑賞することと同じ種類の感動体験です。ですから、私は毎日の食事をおろそかにしたことはありません。いつも、食事を感謝しながらいただいています。

パレスホテル東京のフレンチレストラン「クラウン」。東京では数少ない、私の行きつけの店です。

厨房を仕切っている市塚学シェフは金沢の出身で、味、盛り付けともに風土の育てた愛情を感じます。一皿のなかに繊細な美が感じられる。また、サービス係のみなさんもつねにきびきびとして、無駄のない動きをしています。見ていて安心ですし、心地よい。

忘れてならないのはダイニングルームからの眺望。近景に皇居、日比谷公園、丸の内のビル街があり、遠景に東京タワー、新宿の高層ビル群が見える。晴れた日もいいし、雨が降った日は道路が光って見えます。クラウンのダイニングからはもっとも良質な東京の風景を見ることができます。

お店のみなさんは日々、良質な風景に触れています。美を五感で感じながら働いている。これ以上、精神衛生にいいものはありません。美を受け止め、気分が高揚してくるから、いい仕事ができるのではないでしょうか。それくらい、美しいものは人に影響を与えるのです。

もう一軒、人に教えたくないのが大阪の日本料理店「本湖月」です。ミシュランの二ツ星。余談ですが、わたしはつねづね、ミシュランは三ツ星店よりも二ツ星のほうがおいしい店が多いと思っています。

本湖月は器もすばらしい。器のなかに日本の景色を感じます。むろん、料理も素晴らしいのですが、器の趣味がいい。きっと、ご主人が器に関心のある方なんでしょう。

ここで四季折々の料理をいただきながら、器を拝見していると、日本の底力を感じます。

私はいつもはニューヨークに暮らしていることもあって、戻ってくると、ふとしたときに日本のよさを感じます。クラウンの眺望といい、本湖月の器に見る景色といい、私は料理を通しても、良質の日本を感じるのです。