「米軍機が撒いたビラ」に慌てる政府

日本側がこの回答を知ったのは、正式な外交ルートより先だった。外務省は12日午前0時45分、米サンフランシスコ放送の傍受で回答文をつかんだ。正式の電報が本省に届いたのは、同日午後6時40分である。天皇は同日午前、東郷に回答どおり受諾するよう指示した。だが13日の6人会議も閣議もまとまらず、最終回答は14日に持ち越された。

14日午前7時、米軍機がバーンズ回答の翻訳文を刷った伝単(宣伝ビラ)を日本上空へ散布した。木戸幸一内大臣は午前8時30分、このままでは国内が混乱する恐れがあると天皇に上申し、天皇も伝単を読んだ軍部隊によるクーデターを懸念した。政府未公表の受諾交渉を、米軍のビラが先に知らせたのである。

B-29の機影
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天皇は鈴木首相の願い出を受ける形で、自らの召集による御前会議の開催を決め、全閣僚へ宮中参集を命じた。伝単だけが唯一の原因ではない。閣議の膠着、陸軍内の不穏な動きと重なり、最終決定を急がせた。

それでも戦争継続を望んだ軍部

14日午前10時20分、御前会議に先立って天皇は杉山元、畑俊六、永野修身の陸海軍3元帥を呼び、終戦の決意を伝えて軍の協力を求めた。軍を最終決定へ従わせる動きは、会議前から始まっていた。

昼前に始まった御前会議で、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長の3人は、なお連合国への再照会と戦争継続を主張した。

このとき天皇が語った「御言葉」の記録が、防衛研究所所蔵「連合国との折衝関係事項」に残っている。10日の自分の判断は、今に至るも変わらない。連合国の回答も、日本側の申し入れをおおむね受け入れたものと認める。天皇は再照会論を正面から退けた。

さらに、このまま時局を収拾しなければ国体を破壊し、民族を絶滅させることになるとして、受諾と詔書の作成を命じた。

14日午後11時、外務省は連合国へ最終受諾を正式に通告した。詔書を発布し、全軍へ戦闘行為の停止を命じる用意がある、という内容である。宮内庁によると、天皇は同日、詔書を2回朗読して録音し、2回目の録音盤が15日正午の玉音放送に使われた。