●動機善なりや、私心なかりしか。

――『プレジデント』1996年8月号

電電公社の民営化を受け、稲盛は第二電電(現KDDI)を創業する。その前の半年間、稲盛は「第二電電をつくることは、自分をよく見せたいためではないか。自分の名を残したいためではないか。本当に国民の利益のためにという動機に一点の曇りもないか」と自問自答を繰り返した。

当時、電電公社は売り上げ4兆円、社員33万人の巨大企業。対して、京セラは売り上げ2200億円、従業員1万1000人。財界あげての連合体で第二電電を設立しようとする動きもあったが、まとまらない。そこで稲盛は「国民のために、電話料金を安くしよう」と決意を固める。誰しもがうまくいくはずがないと思ったなかでの船出だった。

●あまりのひたむきさに神様が哀れに思い、かわいそうだから注文をあげよう、と思われるくらい努力するしかない。

――『稲盛和夫のガキの自叙伝』日本経済新聞出版社

海外市場を開拓するため、稲盛は62年にアメリカへ、64年にヨーロッパへと、営業に出かける。ところが、1件も注文が取れない。

稲盛は「(日本で待っている)みんなに申し訳ない」と涙を溢れさせた。そして、一緒にヨーロッパで営業していた者に「神様が哀れんでくれるくらいひたむきに努力しよう」と訴える。

その甲斐あって、その年の暮れに香港マイクロエレクトロニクス社、翌年にアメリカ・フェアチャイルド社から、まとまった注文が入るようになった。

●おい、神様に祈ったか?

――『働き方』三笠書房

66年、まだ規模の小さかった京セラは、IBMから大量受注する。しかし、IBMの品質検査は厳しく、試作品を納める度に「不良」とされてしまう。ようやくできたと思った製品20万個もすべて返品されてきた。当時の京セラの技術水準を大きく上回る要求に、技術者たちは絶望感に包まれる。

ある晩、セラミック製品の焼成炉の前で、呆然と立ち尽くしている技術者を、稲盛は見つける。その技術者は「万策尽きました」と泣いていた。そのとき、稲盛は思わず「おい、神様に祈ったか?」と声をかけたのだ。稲盛が言いたかったことは、神に祈るほど最後の最後まで努力したのか、ということだった。

その技術者は、稲盛の言葉に目を開かされ、再び実験に取り組み、ついには製品を完成させる。IBMから「合格通知」を受けたのは、受注から7カ月後のことだった。