スター選手を特別扱いせず「全員でプレー」
〈イビチャ・オシム監督〉(2006‐2007)
旧ユーゴスラビア代表監督を務めた名将イビチャ・オシムは、「考えて走る」ことを求めました。日本サッカーの技術レベルは少しずつ上がっていましたが、判断力と走力が欠けていると分析したのでしょう。
選手たちは6色のビブスを使って「特定の色の選手にしかパスを出してはいけない」といった思考力を問われる練習メニューにもまれ、全員で攻撃して全員で守備をするチームができあがりつつありました。
オシム監督はヨーロッパでプレーするスター選手を特別視しませんでした。日本代表に「全員でサッカーをする」という文化を定着させたのは、オシム監督の功績でしょう。
しかし2007年11月、オシム監督は千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れてしまいます。多くの選手に惜しまれながら、退任せざるをえませんでした。
〈岡田武史監督〉(2007‐2010)
急遽引き継ぐ形になった岡田武史監督は、強気なサッカーを志向します。守備では「ハエがたかるような」と表現したハイプレスにトライし、攻撃では大木武コーチを招聘してスモールフィールドでパスをつないで大きく展開する「接近・連続・展開」を目指しました。
しかし志にまだレベルが追いついていなかったのかもしれません。2010年南アフリカW杯の直前、岡田監督は方針を覆して低い位置で守備を固める4‐1‐4‐1を採用します。それでもセンターFWの位置に置いた本田圭佑選手目掛けてロングボールを蹴るカウンター戦術により、日本として初めてアウェーのW杯でベスト16進出を果たしました。残念ながら決勝トーナメント1回戦では、パラグアイにPK戦の末に惜敗してしまいます。
勤勉な日本人選手が全員で粘り強く守れば、簡単にやられないことを示した大会になりました。
「最も細かかった監督」ザッケローニ
〈アルベルト・ザッケローニ監督〉(2010‐2014)
日本代表史上、最も戦術に細かかった監督はイタリア人のアルベルト・ザッケローニでしょう。
さすがACミラン、インテル、ユベントスを率いた経験があるイタリアの名将、4バックのうち1人が前へ出たら他の3人が中央に絞って後方のスペースを消す、センターバックが外へつり出されたらサイドバックが交差するように動いて中央を埋める、といった原則を丁寧に落とし込みました。
日本サッカー界にとって目新しかったのは責任を明確にしたことです。


