食事へのこだわりを手放す
これは、「良い行いをすれば良いことが起こり、悪い行いをすれば悪いことが起こる」と信じる傾向のことです。つまり、「努力して正しい食事をすれば、健康になれる。逆に不健康になるのは悪いものを食べているからだ」という考えです。
何も悪いことをしていないのに、不健康になるなんて理不尽を受け入れがたい気持ちもわかります。
特に、アレルギーやアトピー、発達障害など原因が後天的な出来事に一概に特定できない症状を抱える方ほど、「きっと何かの食品が原因に違いない」と思い詰めてしまいがちです。
そして、わかりやすい身近にある食品や添加物などを悪者にしてしまうことがあります。未知は不安ですし理不尽は受け入れられない、その結果、嘘でもわかりやすい「答え」に辿り着いてしまうのです。
もちろん、体に良いものをとりたいという思いはとても大切なものです。問題はそれに囚われすぎて、心まで縛られてしまうことです。
本来味わって楽しむはずの食事なのに、「これは体に悪いのでは?」あるいは「体重が増えるのでは?」という思いが常につきまとう。
さらに、朝食を抜いてしまったり、お昼や夜に食べすぎてしまったり、間食してしまった自分を責めたりします。
これは自分の体型に意識が向いている方ほど、このようなストレスを抱えがちです。
だから、たまには食事を休んでもいいのでは、と私は思います。たまには3食食べなくてもいい。たまには食べすぎても心配しなくていい。
苦手な野菜をとらない日があってもいい。そんなゆるさも大切です。休養には食事がもちろん大切ですが、過度に気にすることは逆効果になることもあるのです。
「今日は好きなものを食べよう」。食事を気楽に考えて、頑張りを休むことが大切です。
食事は健康のためだけでなく、楽しむためのもの。
完璧を目指さず、ゆるさを持つことが大切。
「自分とは何者か」を言葉にするのは難しい
私たちは日常の中で、いくつもの「顔」を使い分けています。
社会人としてのまじめな顔、母親としてのやさしい顔、上司としての厳格な顔、友人としての安心した顔、同僚としての頼り甲斐のある顔。
私たちは日々、多くの役割を演じて、しかも、それらを演じているという意識さえありません。
気がつけば、周囲の期待に応えるためにさまざまな顔を使っているうちに、本当の自分がどこにいるかわからなくなってしまいます。
そもそも、私たちは「自分とは何者か」を説明するのが苦手です。何が好きで、幸せを感じ、求めているのか。それを言葉にできる人は案外少ないのです。しかし、自分をきちんと知り、認めることはとても大切です。
「人から褒められると嬉しい」
「お金が好き」
「仕事も意外と好き」
こうやって分析すると、いかに欲張りかがわかります。
ただ、そうやって自分の思うところだけを求めて、自由奔放に生きることは難しいでしょう。だから色々な役割を演じる必要があるのです。

