足利義昭が号令をかけた「信長包囲網」
さて、信長は美濃を落とした翌年の永禄11(1568)年、足利義昭を持ち上げて六角氏や三好勢力を平らげて京の都へ。第15代将軍へと義昭を押し上げ、信長はその後見人になります。
でも、2人の間はだんだんと険悪になっていきます。朝廷とか皇室は尊重した信長ですけど、義昭を持ち上げる狙いが、幕府の権威を復活させることじゃなくて、やりたいようにやることにあったのがミエミエだったんです。
もうやりたい放題で、お寺・神社・地主といった古株の勢力にバカ高い矢銭――要はミカジメ料ですね――を要求します。
いろんな勢力が、いっせいに信長を敵視します。例えば、「交通の要所なんだから退けよ」と信長が迫ったのは、大坂にあった浄土真宗――一向宗ですね――の総本山・石山本願寺です(後々ここに秀吉が大坂城を建てるんですけど)。
トップの顕如がそれを突っぱねたことが、信長vs.本願寺プラス全国の一向一揆との11年戦争が始まるきっかけでした。
和泉国の貿易都市・堺も、信長流の洗礼を受けます。松本白鵬さんが主演(当時は市川染五郎)で堺の豪商・呂宋助左衛門を演じたのが大河「黄金の日日」(1977年)。その第1回で、信長が「矢銭2万貫よこせ」と6万の軍で堺をぐるっと包囲するんですよね。
まさかの裏切りで、信長が袋のネズミに
そうした勢力を煽ったのが義昭です。信長に首根っこを押さえつけられた義昭は、越後の上杉謙信、越前の朝倉義景、甲斐の武田信玄、中国の毛利輝元などなどコワモテたちに呼びかけ、全国規模の「信長包囲網」に拡大します。
で、信長はまず、朝倉義景の討伐に向かいます。総勢3万を動員し、近江を通って越前へと進軍。金ヶ崎城を陥落させ……ってとこまでは順調だったんです。
ところが、ですね。ここで浅井長政が突如裏切ったんですよ。信長の妹のお市をもらっておきながら。北近江から北上した浅井軍が、織田軍を背後から急襲したんです。
浅井家は朝倉家に昔から恩があって、義理の兄貴である信長とどっちを取るかの板挟みになってたんです。信長は裏切られ率がけっこう高いんですけど、ああいう天才は他人の気持ちをソンタクできないんでしょうね。
こうなったらもう、逃げるしかありません。でも、撤退戦って難しいんですよ。なんせ絶好調で追っかけてくる敵を迎え撃ちながら、逆方向へ逃げなきゃならないんですから。


