羞恥心をユーモアに変える母の教え

その後、夕食の席で兄たちがその話を始めたとき、母は教えられることがあると気づいたようだ。兄たちがひとしきり笑い終えるのを待ってから、母は言った。

「面白いのはいいけど、次にグラディーが恥ずかしい思いをしたときに、みんなに笑われるんじゃなくて、みんなといっしょに笑えるようになるには、どうしたらいいと思う?」

その言い方には、愛情と共感がこもっていた。私が泣いたことに対しても、兄たちが笑ったことに対しても、恥ずかしい思いをさせなかった。

母の質問自体に、答えがあった。水に落ちた自分を恥ずかしいと思う気持ちを手放したら、別の見方ができるようになる。「カエルは池を飛びこえた」という劇を観にいって、カエルが池に飛びこんでしまったら、確かに笑える。羞恥心を動かすと、それは変化する。この場合はユーモアに変わった。

この教訓はその後、何度も役立つことになった。舞台上で転ぶという失態を何度も経験し、あれが記念すべき第1回となったからだ。

失敗した自分を許すことから始める

大学では、パブリック・スピーキング101というクラスを受講した。全員ひとりずつ前に出て、自己紹介をする場面があった。私はインドからオハイオ州に引っ越してきたばかりで、他の女学生たちとは違うという意識があったので、緊張していた。そして演壇にあがるとき、段差につまずいて尻もちをついてしまった。

着地音が響く前、他にもふたつの大きな音が聞こえた。私の頭が机にガンとぶつかる音と、スカートが膝の上でビリッと破れる音だ。でも学校劇での母の教えを思いだし、すぐに気を取り直して羞恥心を手放した。そして驚いてざわついている人たちに向かって言った。

「スピーチで大事なのは、最初に注意をひくことです。今のはどうでした?」

クラスは大爆笑に包まれた。そして私もいっしょに笑った。動いていくのは大切だ。うまくいっていないことがあれば、そのことを認識して手放し、他を見てみるという具合に。私の場合は失敗した恥ずかしさを手放したことで、その先にユーモアがあるのを見つけた。そしてユーモアは、喜びをもたらしてくれた。

もし恥ずかしい気持ちに閉じこもっていたら、気づけないままだっただろう。まずは失敗をした自分を許すところから始めた。そうすることで、動く力が出てきた。