「天下=京都および畿内一帯」説の論拠
「信長ナンバー2論」の先鞭をつけたのは、成蹊大学名誉教授の池上裕子先生だったのではないかと思います。池上先生は『織田信長』のなかで、「天下」という言葉が、日本全国を指すのではなく、京都とその周辺の畿内一帯を指すということの根拠となる史料を引いておられます。
たとえば、『上杉家文書』には、1566(永禄9)年5月9日に上杉謙信が願文を書いて、「武田晴信(武田信玄のこと)たいぢ、氏康・輝虎真実に無事をとげ、分国留守中きづかいなく、天下へ上洛せしめ」ると祈ったと記されています。つまり、上杉謙信は武田信玄を退けて、北条氏康と和睦したのちには、上洛するつもりだと述べているわけです。
ここでは上洛、つまり京都入りすることを「天下へ上洛」と表現しています。ここで言う「分国」とは、上杉謙信の本拠地である領国、つまり越後のことです。越後から空間的に離れた場所にある「天下」とは、すなわち京都のことを指して使われていることがわかります。
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