1枚だけ展示作品が公式に売れた

ファン・ゴッホが生み出す芸術は生前まったく見向きもされず、彼の絵画はたった1点しか売れず、近代における傑出した芸術家のひとりと見なされるには死後何年もかかった、という「神話」は真実でない。しかし、それらを消し去ることはできない。
(中略)
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、ジョン=ピーター・ラッセル、エミール・ベルナール、ルイ・アンクタン、ポール・ゴーガン、カミーユ・ピサロとその息子リュシアンなど、ファン・ゴッホが1886年初頭から88年初頭までパリで暮らしていたあいだに出会った芸術家仲間たちは、彼の才能を疑っていなかった。
『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』図録、シラール・ファン・ヒューフテン「フィンセントとテオの芸術への愛」)

つまり、「ゴッホは生前まったく評価されず、絵は1枚も売れないまま失意のうちに死んだ」という“不遇の人”イメージは間違っており、実際には、絵は1枚だけだが公式に購入され、ヨーロッパの美術界でもそれなりに評価されていたのである。

誰が買ったのか

では、その1枚を買ったのは誰か。ゴッホが死去する約半年前の1890年2月、ベルギーの首都ブリュッセルで開かれた「20人会展」で73cm×91cmの「赤い葡萄畑」を購入したのは、同会に所属するアンナ・ボック(1848~1936年)という女性だった。

フィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑」1888年(プーシキン美術館蔵)
フィンセント・ファン・ゴッホ「赤い葡萄畑」1888年(プーシキン美術館蔵)(写真=History of the Red Vineyard by Anna Boch.com/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

彼女自身も画家。そして弟のウジェーヌ・ボック(1855~1941年)はゴッホと親交の深い画家だった。ゴッホは葡萄畑の絵を夢中で描いていることを制作当時からウジェーヌに知らせていたし、ゴッホが描いた彼の肖像画もある。ウジェーヌの死後、ルーブル美術館に遺贈され、現在はオルセー美術館が所蔵。フランスでは電話帳の表紙になるなど、国民に親しまれているとても有名な絵だ。

ゴッホの「赤い葡萄畑」を購入したアンナ・ボック
ゴッホの「赤い葡萄畑」を購入したアンナ・ボック(写真=JoJan/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons
フィンセント・ファン・ゴッホ「ウジェーヌ・ボックの肖像」1888年(オルセー美術館蔵)
フィンセント・ファン・ゴッホ「ウジェーヌ・ボックの肖像」1888年(オルセー美術館蔵)(写真=Eugene Boch.com/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

つまりゴッホからしてみれば、ベルギーの展覧会に絵を数枚出してみたところ、それを主催した美術団体のメンバーである“友達のお姉さん”が絵を1枚買ってくれた。コネありきの商談というかお知り合い価格というか、そういう感覚だったのだろう。

購入金額は400フラン。現在の価値に換算すると、わずか40万円ほどだった。