「小さな循環」を繰り返す

そこから「概念化」です。つまり、自分なりのルールや気づきにまとめていく段階です。「朝イチで水を飲むと調子がいい」「タスクは3つに絞ると集中できる」など、経験を通じて「自分なりの原則」が見えてきます。

そして「実践」です。見つけた原則を少しずつ生活に組み込んでみます。朝の水を習慣にしたり、タスク管理を毎日のルーティンにしたり、こうしてまた新しい経験が生まれ、再び省察に戻ります。

僕自身、読んだ本の内容をSNSで発信することでこのサイクルを繰り返してきました。アウトプットする中で「ここはうまく説明できないな」と気づき、もう一度本に戻る。そうすると理解が深まり、次の発信ではもっと自分の言葉で語れるようになる。経験から実践を繰り返しながら、少しずつ知識が血肉になっていきました。

学びは「一気にやること」ではありません。

小さく試してみる。ほんの数分でも振り返る。気づいたことを自分の言葉で残してみる。そしてまた試してみる。この小さな循環を繰り返すことが、知識を頭の中だけの情報から、現実を動かす力へと変えていき、知識を「わかったつもり」で終わらせず、あなた自身の一部にしてくれます。

「読解力不足」は大きな不利益を被る

インプットとアウトプットをセットにする。この習慣を身につけたとしても、そもそも「正しく読み取れていない」としたら、すべてが台無しになってしまいます。だからこそ、知識を使える知識に変えるための土台として、「読解力を意識する」ことが欠かせないのです。

国立情報学研究所教授の新井紀子による『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)では、衝撃的な事実が明らかにされています。多くの人が、教科書レベルの文章すら正確に読み取れていないというのです。文字を追うことはできても、「誰が」「何を」「なぜしたのか」という要点をつかめない。新井は、「読解力が不足すれば社会生活や仕事の場で大きな不利益を被る」と警告しています。

ここでいう「読解力」とは、単に速く読めることや難しい漢字を理解できることではありません。

文章の論理をたどり、書き手が本当に伝えようとしていることを正しく理解する力です。言い換えれば、書き手の心の奥に潜む思惑を見抜くのです。

例えば「糖質制限は効果的だ」という言葉を、「炭水化物を完全に断てば良い」と極端に解釈してしまう人がいます。しかし本来は「摂りすぎを控えると健康に良い」という意味だったりします。読解力が不十分だと、このように知識を間違った形で使ってしまうのです。