「女は男を立てている」という理屈

一方、寄せられたコメントの中には首を傾げてしまうような理屈が展開されたりもする。

「九州人ですが、そんな事はありません。親戚の飲み会があっても、最初は一緒に飲み食い、次は男だけで宴会。男性はそんなに飲まないですし、宴会の料理は食事の時の余ったもの、後半は女の会になります。その間、子供達の面倒を見るのは男達です。(中略)家の事は女が決めます。女がきめた事をさも男がオッケーしたかのようにしてあげてます。とても上手く操っています。知らないかもしれませんが女の力は凄く強い地方です。男が強い風に見せてあげてるだけです」

男女差別がないというのなら、宴会で飲み食いする順番はわざわざ男女別にしなくてもいいのでは? 家庭で「女がきめた事をさも男がオッケーしたかのように」しなくても「男が強い風に見せてあげ」なくても、ありのままでよいのではないだろうか。しかし、九州では「外面」が大事なのだという主張もあった。

「九州男児、九州の夫婦を誤解しているよね。九州の男性も女性も外面を気にするんです。なので、男性は外で威張る。女性は男性を立てる。家の中では女性が強い」

つまり、女性にとっても人前では「威張る男性を立てる」ほうが外聞が良いらしい。そこが理解しづらい。なぜそこまでして「男のほうが強い」という体裁を保たなければならないのか? 対外的に「お父さんはえらい」とメンツを立てているうちに、いざというとき夫が独断で重要なことを決めてしまったり、子どもたちが偏った男女観を引き継いでしまったりという弊害も出てくるのではないだろうか。

「俺より稼いでないくせに」という本音

前回の記事に激しく反発する次のような投稿には、「男が家計を稼いでいるんだから、女は家事をしろ」という性役割意識がにじんでいた。

「女性が家事を負担する多くの場合、稼得の大半を男性が担っている。その上で、女性は男性をいくら貶しても、罰せられるどころか讃えられる始末だ。まさに、このドラマ(漫画)タイトルの状況。つまり、女性に男性同等の責任と経済力を求められるぐらいなら、家事を押し付けられた被害者の立場に甘んじて、夫に養われ、その夫を無制限に貶す権利を得たほうが“楽”なのだ」

このコメントは極端な例だと思うが、「俺より稼いでないくせに」という考えの男性は、女性が把握している以上に多いのかもしれない。

「九州出身の私(中略)。根底には昔ながらの『男性は仕事でお金を稼ぐ』『女性は家事で家庭を支える』という考え方が当然あるのだと思います。これが差別的だと言うのでしょうが、共働きでも仕事の帰宅時間などに合わせて家事分担の割合が変わるのはそんなに叩かれるほどのことなんでしょうか?」

という意見もあった。たとえ女性の経済力が男性より劣っていても、夫婦間で役割分担の合意があったとしても、「夫婦は対等」という認識を持つことは大前提ではないだろうか。その関係が「夫のメインは仕事、妻のメインは家事育児」と分けている間に崩れていき、「女性が家のことをやるのは当たり前」という態度になってしまうから、投稿した女性たちは怒っているのだ。