消されていた「妾」の文字

第8週「クビノ、カワ、イチマイ。」(11月17日~21日放送)でも、ヘブンの不機嫌は続いた。周囲から「ラシャメンを囲っている」という色眼鏡で見られていると感じ、トキをクビにしようとするが、錦織が説得して、なんとか思いとどまらせた。つまり、ヘブンは妾などまったく所望しない清廉潔白な男性として描かれているのである。

だが、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーンが、トキのモデルの小泉セツに求めたものは、「ばけばけ」で描かれるのとは違ったようだ。トキはラシャメンでないので、夜になると家に帰ることが許されているが、ハーンが明治24年(1891)の1月か2月ごろ、錦織のモデルである西田千太郎に宛てた書簡には、住み込み女中を求めていると書かれている。

また、『西田千太郎日記』の原本には、もともと書かれていた文字が消され、その脇に「節子氏」「細君」と書かれた箇所があった。そして、消されていた文字は「ヘルン氏の妾」「愛妾」だった。

西田の次男の敬三が、ハーンとセツの遺族に配慮して、「妾」であったことを示す表記を修正していたのである。したがって、セツは明治24年(1881)の2月ごろから、住み込みの女中、すなわち事実上のラシャメンとして、ハーンのもとで働きはじめたと考えられる。

「士族の娘→ラシャメン」は珍しくなかった

それから半年ほどして、2人の関係は発展し、事実上の夫婦になった。それまでは、周囲はセツを「妾」と認識していたようだ。

たとえば6月22日、ハーンはセツをともない、現在「小泉八雲旧居」として公開されている松江城の内堀端に建つ士族屋敷に引っ越した。同時に、物乞いにまで身をやつした「ばけばけ」のタエのモデルであるチエは、近くに小さな家を借りてもらったが、西田はそれについて日記を書いた際、セツのことは「ヘルン氏の妾」と記している。同じ時期に書かれた山陰新聞の記事にさえ、「ヘルン氏の妾」と書かれているのである。

塩見縄手にある小泉八雲旧居
塩見縄手にある小泉八雲旧居(画像=663highland/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

さすがに朝に放送される連続テレビ小説で、ヒロインを妾にはしにくいだろうから、「ばけばけ」でトキを「ただの女中」とするのは妥当なのだと思う。しかし、この時代には多くの士族が経済的に困窮し、その娘が生きて行くのはかなり難しかった。だから、「ラシャメン」になるのは、決して珍しいことではなかった。

士族が没落したのは、端的にいって、働き方がわからなかったからだが、なかでも女性は武士という身分を奪われてしまうと、まったく生きる術がなくなるケースが多かった。