江戸時代から広くみられるように
日本では白米が常食されるようになった江戸時代から脚気が広くみられ「江戸患い」と言われるようになった。明治以降も、特に集団生活を行う軍隊で多数の患者が発生し、明治13年の時点で海軍では総兵員数4500人ほどのうち3分の1が脚気に冒され、少なからぬ犠牲者が出ていたという。
英国留学から帰国したばかりの海軍軍医・高木兼寛(後に東京慈恵会医科大学創立者)は、遠洋航海記録から外国の港に停泊中は脚気が発生しないこと、士官に比較して水兵に重症者が多いことから、兵食に蛋白質が少なく炭水化物が多いためであるという仮説を提唱し、食事の改善を提唱した。そして臨床試験として、明治15年に10カ月の航海に出た「龍驤」では従来の食事を与えた乗組員378人中169人に脚気が発生し、そのうち23人が死亡するという惨憺たる結果だったのに対し、翌17年の「筑波」の遠洋航海では洋食を与えて乗組員333人中脚気患者なしという画期的な成果を得たのだった。
日露戦争では戦死者数を上回る猛威
ただ、彼の知見は陸軍には受け入れられず、軍医総監・石黒忠悳は「脚気談」で、脚気の原因を細菌であると断定し、ドイツ留学から帰ったばかりの東京帝国大学衛生学教授の緒方正規も「脚気病菌」を患者血中より発見したと発表した。細菌説は同じドイツに留学していた北里柴三郎が鋭く批判したが、兵食改善にのりだした海軍とは対照的に陸軍で高木の説を受け入れることはなく、兵舎の換気改善などピントはずれの対策が進められたため、20年後の日露戦争でも戦死者以上に脚気による戦病死者が多かったという。
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