強引な開発が生んだ「大泉学園町」

強引な経営手段から「ピストル堤」の異名で知られた氏は、一帯の地権者・有力者を箱根に招待したうえでまとめて口説き落とし、工事が始まるや片っ端から雑木林を切り倒し、トロッコで土砂を運び出して山あいの凸凹を平らに直し、東京商科大学(現在の一橋大学)移転を当て込んで、広大な土地を確保……莫大な私財をつぎ込みつつ、今では考えられない猛烈な勢いで開発にあたったという。

肝心の大学誘致が失敗したのに「大泉学園町」と名付けられた町は、二子玉川・田園調布と同様の「風致地区」を中心に発展。いまは昔ながらの戸建て住宅街・お屋敷街が広がっており、延伸エリアの3駅周辺には、おおよそ10万人程度が居住している。