NHK大河ドラマ『べらぼう』はいよいよクライマックスを迎える。コピーライターで著述家の川上徹也氏は「『べらぼう』で広く知られるところとなった江戸時代の出版人、蔦屋重三郎と現代の蔦屋書店を生み出した増田宗昭氏をつなぐミッシングリンクは意外なほど多くある」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、川上徹也『二人の蔦屋 蔦屋重三郎と増田宗昭』(太田出版)の一部を再編集したものです。

カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社取締役会長の増田宗昭氏
写真提供=カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社
カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社取締役会長の増田宗昭氏

「この店ぜんぜん陳腐化してないやろ?」

「10年以上たってんのにこの店ぜんぜん陳腐化してないやろ?」

増田宗昭は初対面の私にいきなりそう言った。

まるで少年がお気に入りのおもちゃを誰かに見せて自慢する時のような目で。

おもちゃとは「代官山 蔦屋書店」のことだ。初めての取材は代官山 蔦屋書店のラウンジ会議室でおこなわれた。

増田宗昭(以下増田)は、全国にTSUTAYAや蔦屋書店を展開し、Vポイント事業なども手掛けるカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(以降、CCC)を一代で築き上げた稀代の経営者だ。

1985年のCCC創業以来、代表取締役社長として様々な作品をプロデュースしてきた。「代官山 蔦屋書店」は、増田の代表作と言っていいだろう。

23年に社長を髙橋誉則に譲り、24年4月からは代表権のない会長になっている。

代官山 蔦屋書店が開業したのは11年12月だ。実はオープン前は、業界内でいい噂はほとんど聞かなかった。繁華街にある大型書店でさえも経営が大変な時代に、代官山の外れに約4000坪の敷地を取得し、巨大な書店を作っても人が来るはずがないと、書店や出版関係者は口をそろえて言っていたのだ。

外部だけでなく、社内でも懐疑的な意見がほとんどだったという。「代官山 蔦屋書店」の出店計画を役員会議に出すと、増田以外全員が反対した。それでも増田はその思いを貫き通し、株主に説明できないからと上場を廃止してまで、出店計画を遂行した。