松平定信が半蔵の子孫を重用していたワケ
松平定信はこの定綱の子孫の婿養子であり、冒頭の服部半蔵正礼は正重の子孫である。
松平定信が諸大名の人望が高く「黒ごまむすびの会」を主宰するに至ったのは、天明の飢饉での対処が適切で、白河藩内に飢餓者が出なかったことであるが、江戸在府の定信に代わって、正礼が白河で飢饉対応に尽力していたのである。きっと有吉弘行のように抜け目なく、それでいて堅実な人物だったに違いない。
ちなみに、なぜ「服部」と書いて「はっとり」と読むのかといえば、もともとは機を織って服を作っていたことから、服をつくっていた部民を服部=機織部といい、それが略されて「はっとり」と読むようになったようだ。
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