約2000人は難波の手前、戎橋で止まった

もっとも、御堂筋は1970年以後、自動車の北行ほっこうが禁止された。南側へしか走れない一方通行の道路となっている。この規則が、1985年の阪神ファンを南へ意識づけた可能性もある。阪神電鉄の見はてぬ夢は、ファンにもわかちあわれていた。そう結論づけるのは、ひかえたほうがいいかもしれない。

いずれにせよ、御堂筋を南下したファンは道頓堀より南へむかわなかった。難波の200メートルぐらい手前で、南進をとめている。そして、道頓堀と御道筋が交差する地点から東のほうへ、60メートルほど移動した。戎橋のかかっているところまですすみ、そこで歩みをとめている(図表1)。その数は、2000人ほどになったという。