【俣野】おっしゃる通りですね。別に出世だけが成功ではない。島耕作も特に上昇志向があったわけではないようですね。

【弘兼】島耕作自身は、社長になろうなんて考えたことはないですね。出世したいと思ったことは1回もないです。気がついたら周りに押し上げられている。僕の友人には社長も多いですが、社長に任命されるときは1週間前に突然言われたりするようです。寝耳に水みたいなことも珍しくない。逆に最初から社長になろうと頑張ってなった人は少ない印象です。組織ってそんなものなんですね。

松下電器に山下俊彦さんという10年間社長を務めた人がいたのですが、その人の自伝を読むと、彼は派閥に属さずわが道を行くタイプの変わったサラリーマンだったそうです。彼は取締役になったときは24人の取締役のうち1番末席の24番目だったのに、松下幸之助さんが、副社長、専務、常務、全部飛び越して山下さんに白羽の矢を立てた。山下さんは当然「私の前に先輩が何人もいるのにとんでもない」と断り続ける。それでもしつこくしつこく、気が変わらないかと聞かれる。あるとき山下さんが疲れ果てて、家に帰って晩酌しながら本を読んでいたら、また会長から電話がかかってきたものだから、ついに根負けして「わかりました。じゃあやります」と言って社長になったんだそうです。だから偉くなろうと思ってなるというより、なるときは周りが推してくれると思っていればいいんじゃないですか。

【俣野】肩の力が抜けてラクになる読者も多い話ですね。

【弘兼】サラリーマン生活には確かにいろいろなことがあるけれど、どんな仕事にも楽しみはあるし、どんな環境でも楽しみを見つけることはできると思うんですよね。アウシュビッツ収容所のユダヤ人たちが、収容所の中で毎日通る道ばたで少しずつ生長する草花を見ることを楽しみにしていた、という話があります。生死の際の極限状態に置かれている人ですら何かに楽しみを見つけることはできるわけですから、平和な日常を送っている私たちにできないことではありません。どんな人にもその能力は備わっていると思います。

【俣野】仕事を始めた最初のうちは「楽しみを見つけるのが仕事」ぐらいに思っていればいいですよね。自分が楽しんでいなければ、周りを楽しませることもできないものですし。やがてその楽しいことが、組織に貢献できる自分の強みに変わってくると思います。

※この記事は書籍『プロフェッショナルサラリーマン 実践Q&A編』からの抜粋です。

俣野成敏(またの・なるとし)●1971年、福岡県北九州市生まれ。1993年、東証一部上場のシチズン時計(株)入社。安息の日もつかの間、30歳の時に半世紀ぶりの赤字転落による早期退職募集の対象になる。ダメ社員には転職や起業の選択肢もないことを痛感するとともに、退職を余儀なくされた年配者が自分の将来と重なり一念発起。2002年、経験や人脈の一切を欠く状態からアウトレット流通を社内起業。老舗企業の保守的な逆風の中、世界ブランドが集う施設で坪売上上位の実績を積み、30代で年商14億円企業に育てあげる。2004年に33歳でグループ130社の現役最年少の役員に抜擢。2011年にはメーカー本体に帰還、40歳で史上最年少の上級顧問に就任。同年出版した著書『プロフェッショナルサラリーマン』(プレジデント社)は、翌年10月に出版された図解版と合わせてシリーズ累計11万部のベストセラーとなる。amazon.co.jpの2012年間ランキング(ビジネス・自己啓発)で33位に入賞。2012年6月、独立。複数の事業経営の傍ら、大学生や社会人を応援する活動をライフワークにしている。 http://www.matano.asia/
(構成=長山清子 写真=上飯坂真)
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