縁もゆかりもなかった石川県輪島市に移り住み、栗農家として稼げるようになった人がいる。1年目の売上は20万円。最初の3年間は、コンビニのアルバイトで生計を立てていた。どうやって売上を伸ばしたのか。『農業に転職!』の著者・有坪民雄氏が聞いた――。

就農11年目には暖炉付き200坪の「自分の家」を購入

画像提供=松尾和広氏
石川県輪島市で栗農家を営む松尾和広氏

【有坪民雄(専業農家、『農業に転職!』著者)】松尾さんはこの奥能登と呼ばれるエリアで、栗というあまりメジャーではない作物をやっておられるそうですね。率直なところ、儲かっていますか?

【松尾和広氏(松尾栗園)】栗農家になって14年がたちます。決して楽な仕事ではありませんが、なんとか人並みに稼ぐことはできていると思います。

3年ほど前には、自分の家を手に入れることもできました。土地が300坪、建物が200坪の合掌造りの物件を購入して、全面的にリフォームしたんです。2人の子どもが大きくなってきたことに加えて、住み込みのスタッフの寝床や作業場、駐車場なども必要だったので、それだけの規模になりました。

【有坪】立派な暖炉もありますね。

【松尾】栗から大量の剪定の枝が出るんです。だから薪ストーブを使って家を暖められたら効率がよいと思って、断熱材と暖炉に思いっきりお金をかけました。見たとおり壁や仕切りが石膏ボードのままなのですが、クロス(壁紙)を貼るお金が足りなくなってしまったんです(笑)。

【有坪】でも、これだけ立派な家が持てるということは、それだけの稼ぎがあるということの証左だと思います。ところで、そもそもなぜ輪島市で栗農家になろうと思ったのでしょうか。

名古屋と東京で働き、石川には縁がなかった

【松尾】もともと僕は愛知県の出身で、能登半島はおろか、石川県についても縁があったわけではありません。高校を卒業して最初に勤めたのは、名古屋の流通関係の会社です。数年働いた後、親の借金を返すのと、3人いる弟たちの学費を捻出するために、稼ぎの良い建築関係の仕事に転職しました。

【有坪】どういった仕事ですか?

【松尾】生コンのホースを担いで流し込んでいく危険を伴う仕事で、毎月30万円ほどもらえました。その仕事を4年やっていろいろ清算できたら25歳になっていました。そこで自分の人生を見つめ直し、上京して出版社に5年ほど勤めました。名古屋と東京という大都会でずっと暮らしてきたわけです。そのときに、ふと「田舎で1次産業に携わりたい」という気持ちになったんです。