経済産業省の若手有志30人がまとめたスライド資料が話題になっています。資料は「この数年が勝負」として、日本の現状への強い危機感に満ち、踏み込んだ政策提言で構成されています。その内容は、称賛だけでなく、「時代遅れのエリートが作ったゴミ」という批判も受けています。関西学院大学の鈴木謙介准教授は、資料について「もう産業構造の変化は不可避だ。変化を前提にした提言として評価できる」といいます。「産業構造の変化」は、我々になにを強いるのでしょうか――。

※以下は鈴木准教授が自身のブログで公開したエッセー(http://blog.szk.cc/2017/05/22/to-understand-our-choices/)の転載です。

5月20日に公開された、経済産業省の「次官・若手プロジェクト」による資料「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」(http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf)が話題だ。最初にウェブで見かけた反応は好意的なものだったが、次第に反論・批判・不満が噴出するようになっている。そのうち、「言い古されたことばかり」「パワーポイントがインチキ臭い」といった具体的でない批判を除くと、興味深かったのは以下の議論だろうか。

経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答 – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記
http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/response.meti
「時代遅れのエリートが作ったゴミ」発言者に訊く!若手経産官僚のペーパーに感じた違和感とは。 | 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構
http://youth-democracy.org/topic/interview170520
経産省「次官・若手ペーパー」に対するある一つの「擬似的な批判」をめぐって – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記
http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/response.meti2
経済産業省の「次官・若手プロジェクト」による資料「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」

一連の流れのように挙げているが、両者が直接的に深い論争をしているわけではないので、このエントリでも、どちらが優れているかといったジャッジをするつもりはない。ただ、社会学の立場からこの問題について考えてきた人間としては、「既に言い古されたことばかり」と言われる割に、何が「言い古された」のかをまとめているものが見当たらないことも含め、どこに論点の中心があって、何が対立していて、そして僕たちに示されているのはどのような選択肢なのかということが明らかになっていない点は気になる。そのため、専門家でない人の中には「いいぞどっちももっとやれ」以上の感想を持てないという意見も多そうだ。というわけで、少しばかりの昔話を含めて、問題の構図を読み解いてみたい。

古くて新しい「社会の構造変動」論

まずこの資料が拠って立つのは、1960年代につくられた高度成長期を前提とするシステムが、1980年代生まれにとってはもはや典型的なものでなくなっており、前提から考え直さなければいけないという見方だ。実はこうした見方は「構造変動論」と呼ばれる、文字通り「言い古された」議論である。具体的には、日本においても1970年代ごろから通産省(現在の経産省)を中心に、重厚長大型産業からスモールビジネスへという掛け声があり、何度となく「社会の変化に合わせて産業構造を変えるべきだ」という主張が提示されてきたのだ(この点については、同僚である高原基彰の『現代日本の転機』(2009)が非常に詳しく解説している)。

1970年代とは、オイルショックや変動相場制への以降、経済政策におけるケインジアンへの批判などを背景に、いわゆる「戦後の黄金時代」モデルが曲がり角に来たと考えられた時代だった。「新自由主義」と呼ばれる、「政府の縮小によって民間の経済活動を促進する」タイプの政策がまず南米において導入されるのもこの頃で、その理念は1980年代には英米、および日本の一部にも持ち込まれることになった。

ところが1990年代に入ると、こうした「高福祉の大きな政府か、自己責任を重んじる小さな政府か」といった対立に対して、第三極とも言える主張が登場する。アメリカでは、クリントン政権の労働長官を務めることになるロバート・ライシュが『ワーク・オブ・ネーションズ』(1991)を、イギリスではブレア政権のブレーンとして活躍したアンソニー・ギデンズが『左派右派を超えて』(1994)を刊行する。

いずれの著書も、議論の力点は「産業構造の変化がもたらす社会の変化」にある。製造業が中心の社会において典型的なライフコースは、サービス業が産業の中心になる社会においては、様々な点で通用しなくなるのであり、「福祉か自己責任か」ではない、新たな選択肢が必要になるというのだ。

「新自由主義に妥協した左派」

ただし、その選択肢はライシュとギデンズでも微妙に違う。ライシュが強調するのは、サービス業が中心の社会では、高い付加価値を創造する一握りの高度専門職と、感情労働に従事する非熟練対人サービス業(および単純労働者)への二極化が進むということだ。それゆえ政府としては、社会の中流階級を維持することが税収を維持する上でも重要になるのであり、ナショナリズムに基づく教育と社会資本への投資が必要なのだ、というのがライシュの主張だ。それに対してギデンズは、もはや炭鉱町の賑わいを取り戻すのは無理なので、製造業中心の社会モデルから転換できない地域において、市民の自発的活動(彼はこれを「コミュニティ」と呼ぶ)を活発化させ、市民が市民を支えるべきだと主張する。さらに言うと、ギデンズは地域の治安を守るためには、「割れ窓理論」に基づく市民による治安維持が大事だとも述べていて、ライシュの中流階級重視のモデルと比べても、新自由主義的な色彩が濃い。

この違いを産んだのは、ギデンズが社会学者であることと関係している。社会学という学問は、人々が伝統的な共同体を離れ、近代社会の「鉄の檻」に閉じ込められていく流れに対して、人々が自発的に結成する結社や協働社会に期待するという立場をとってきた(この点については、僕の修士論文を下敷きにした『〈反転〉するグローバリゼーション』(2007)という小難しい本に少しだけ書いた)。国家ではなく、共同体が人々の生活に責任を持つという発想は、「安全ではあっても国家の縛りの強い福祉」ではない、別のセーフティーネットが社会に必要だという社会学的理念と地続きのものである。

とはいえ、ギデンズのこうした提唱を「新自由主義に妥協した左派」とする見方も少なくなかった。マルクス主義派や労組、あるいは新自由主義を批判するタイプの人々にとって、どのような言葉で飾ろうと、それは国家がなすべき責任をコミュニティに押し付け、またそうしたコミュニティに参加しないものへの排除を容認する議論なのであり、よく言って注意深く見るべき、悪く言うと徹底的に批判されるべきものだったのだ。