なぜM-1決勝一番手の令和ロマンが王者となれたのか
まず、彼らがどうやって優勝を果たしたのか、ということについて。
一般的に、「M-1」に挑む芸人は自信のあるネタを2本用意して、それを極限まで磨こうとする。決勝では2本の漫才を披露する必要があるため、そこに向けてネタを細部まで作り込んでいくのが最善策だと考えられているからだ。
だが、今回初めて決勝に進んだ令和ロマンは、決勝で披露するためのネタを4本も用意していた。これは通常では考えられないことだ。彼らはその場の空気に合ったネタを選ぶために、あえて多めに準備していたのだという。
しかも、くじ引きで10組中1番目にネタを披露することになった彼らは「一番手では勝ち目がない」と思い、早々に勝負を捨てた。そこで、自分たちの勝敗を度外視して、とにかく客席を盛り上げられるだけ盛り上げて、あとから出てくる芸人がやりやすい空気を作ろうとした。
そのために、途中で役柄に入り込むコントの要素がなく、純粋なしゃべりだけで展開される「しゃべくり漫才」を選んだ。漫才の途中で観客に話しかけるようなくだりもあった。とにかく客席との心理的な距離を縮めることで、笑いやすい雰囲気を作ろうとした。いわば、彼らは自分たちが捨て石となって、大会全体の空気を良くすることを目指したのだ。
ところが、いざ蓋を開けてみると、そのネタで大爆笑が起こり、不利と言われる一番手で高得点を獲得した。
令和ロマンにとってはM-1に参戦することが「一種の娯楽」
そして、くるまの分析によると、くじ運の悪さがこの後の悲劇を招いた。たまたま同じ系統のネタを演じる芸人が固まったせいで、観客が漫才を比較して審査する目線でネタを見る空気になり、二番手以降の芸人があまりウケない状況に陥ってしまった。その結果、勝負を捨てたはずの令和ロマンが最終決戦に駒を進めることになった。
彼らが2本目に選んだ漫才は、1本目と違ってコント仕立てのものだった。重い空気を打ち払うために丁寧なツカミで観客を引き込み、再びうねるような笑いを起こした。結局、彼らはそのまま優勝を果たした。
優勝後の記者会見でも、けろっとした表情でどこか他人事のように戦いを冷静に振り返っているのが印象的だった。
会見の席では「来年も出ます」と宣言したことも話題になった。ほとんどの芸人は「M-1」に優勝したら、再度挑戦することはない。なぜなら、「M-1」への挑戦はそれだけ過酷なものだし、優勝という目的を果たしたのなら再び出る必要もないからだ。しかし、令和ロマンにとっては「M-1」そのものが一種の娯楽である。そこを目指すこと自体が楽しいのだから、優勝したからといって辞める理由がない。