私が心の中にずっと閉まっておいた健さんの言葉

地元のファンの方が、持参したCDプレーヤーのスイッチをカチッ。

健さんが歌う『対馬酒唄』が境内に流れた。

♪男だってな
泣きたいときはよ
人肌恋しい
枕唄
俺が死んだらよ
桜の下によ
骨ば埋めて
花見してよ

写真=iStock.com/mina you
※写真はイメージです

曲の締めで、健さんは自らの最期をこう歌っていた。

私はこれまでの取材中に健さんの言葉を鳩尾に納めてきた。その鳩尾の一番奥底にこの言葉があった。

「俺は親しい友の病む姿を見たくない。自分の老いる姿、死にゆく姿も愛する人に見せたくない」

孤高が似合うスターは愛する人を誰一人として近づけずに旅立っていったのだった。

没後10年、いまも多くのファンを持つ健さんのお墓にも訪れる人が絶えない。

こうした著名人への墓参りを、昔から「掃苔」と呼んでいる。墓石の苔を掃って先賢に思いを馳せるのである。

残された者が己の心に向き合うためのその場所を、健さんはとてもやさしく、柔らかな光で、今も照らし続けている。

天晴れというほかはない。

ちょっとかわった雑誌取材の方法

この旅の最後に行きたい場所があった。遺作となった映画『あなたへ』。ラストシーンは、北九州市の門司港レトロ地区で撮影された。

関門海峡をバックに、前を見据えた健さんが港をゆっくり歩き続ける。やがてエンドロールへとつながるシーンだ。

その場所で海風に当たっていると、30年間の本を介した交流が遠い夢のように思い出されてきた。

健さんは海を臨む場所が好きだった。幾度かご一緒させてもらった。

健さんの雑誌取材といえば、編集長からはいつも、「取材予算とギャラは、どのくらい用意すればいいですか?」と尋ねられた。私は事務所に問い合わせた。

「取材は少人数を希望していて、高倉自身が車を運転します。宿泊費はこちらで全て持ちます。お礼も特には要りません」

ある時、インタビュー場所をどうするか、あれこれ悩んでいると健さんから、「伊豆下田へ行こう! 俺の車で。運転は自分がするから」という夢のような話を切り出された。

当日、お付きの人もなく一人で港区乃木坂にある私の仕事場へ迎えに来てくれた。

「荷物はこれですか」と言うと、重い撮影機材の詰まったバッグをさりげなく担いで車へ運び入れた。

運転中の横顔にカメラを向けても嫌がるどころか、『網走番外地』や『唐獅子牡丹』の鼻唄さえ唄っている。