正しさではなく「庶民の怒り」に寄り添った

第2に玉川は視聴率の力を知っている。自らの提案でワイドショーの常識を覆す。それがディレクター兼リポーターだ。取材してVTRを作るディレクターとスタジオで説明したり、現場に出てカメラに映ったりするリポーター役は分かれているというのが常識だった。

しかし玉川は熱弁を振るって、自分が取材したネタは自分の言葉で視聴者に届けたいと当時の上司たちを説得した。その裏付けになったのが視聴率だ。

「チーム玉川」のミーティング、あるいは取材活動の中で、彼が何度も繰り返した言葉を当時のスタッフの証言してくれた。まずは「数字を取ること」だ。

それも自分たちが主導権を握っている企画で数字を取ることだ。「自分は数字が取れなくなったら、すぐに地位を追われる」と番組の平均視聴率ではなく、自身が担当するコーナー視聴率を特に気にかけていた。分単位でグラフ化される数字を意識して、自分がやりたいことをやり、かつ視聴者に響くにはどうしたらいいかを考える。それには視聴者からの疑問に答えるだけでは不十分で、視聴者が思いもよらないことを番組で提示しながら、それでも数字を取ることが必要だった。

玉川が「無駄遣い」をテーマに官僚にフォーカスしたのもよく理解できる。

本人の強い問題意識はあったにせよ、彼が意識していたのは数字でもあった。彼は著書のなかで自らの仕事を「怒りの代弁者」という言葉で説明していたが、視聴者層を意識すればいい。

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大上段から大真面目に政治を語るよりも、自分たちの暮らしと比較して恵まれた住環境を与えられた官僚への怒りを日常的な感覚に落とし込んで語ったほうが響くと考えたのだ。

視聴率のための権力批判

第3の特徴である「野党気質」を端的に説明してくれたのは元「チーム玉川」の一員だった人々の証言だ。

「玉川さんは権力を批判するほうが盛り上がるだろう、とよく語っていました。国と一緒のことを言うのではなく、その反対のことを堂々と言いたいのが玉川さんの気質です。官僚批判で歩調を合わせているように見えた民主党も政権に就いたとたん、一転して堂々批判していた」

彼に確固たる信念がないとまでは言わないが、今に至るまでコメンテーターとしてのポジションは政権や社会の出方によって相対的に決まる。2010年代から始まった長い安倍政権時代はリベラルなポジションを強めていったのも必然である。

「怒りの代弁者」として、時に感情を乗せながらお行儀の良さだけでは終わらせない。かつてはテレビ朝日の社員、今はOBとして古巣に傷を負わせないぎりぎりのラインを突こうとする。

それが「生き生きとしたコメント」となり、よくよく聞けば大した中身のない発言でも「よくぞ言ってくれた」という喝采と「また玉川がおかしなことを言っている」といった反論を呼び起こす。

一方から好かれ、他方から見れば「嫌われ者」だが、両者ともにテレビから目が離せないと反応した時点で玉川の思惑の中にハマっている。