有望選手の流出を懸念したNPBは…

多田野数人投手は立大で通算20勝を挙げた後、渡米して2003年にインディアンスとマイナー契約。2004年4月にメジャー初昇格を果たすと、7月2日のレッズ戦で初先発初勝利を挙げた。

超スローボールを駆使してヤンキースの主砲だったアレックス・ロドリゲス内野手を三塁ゴロに討ち取るなど、主に中継ぎで通算15試合に登板。2007年に日本ハムからドラフト1巡目指名を受け、NPBに活躍の舞台を移すと、7年間で通算18勝をマークした。

田澤純一投手はメジャーで一時代を築いた日本人選手の一人だろう。新日本石油ENEOS(現ENEOS)時代、2008年の都市対抗で全5試合中4勝を挙げ、大会MVPに当たる橋戸賞を受賞。この年のドラフト目玉として注目されたが、メジャー挑戦の意思を表明し、NPB12球団にドラフト指名の見送りを要求する文書を送付。指名を回避し、レッドソックスとメジャー契約を結んだ。

2012年9月29日、レッドソックス対オリオールズでの田澤純一投手(写真=Keith Allison/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

この結果、NPBは国内の有望なアマチュア選手の海外流出を懸念。日本球団からのドラフト上位指名が確実視されている選手が日本球界入りを拒否し、海外のプロ野球球団と契約した場合、日本に戻りプレーする際に一定期間(大卒・社会人は2年間。高卒選手は3年間)の復帰制限措置が設けられた(2020年に撤廃)。もしこの「田澤ルール」が続いていたら、森井の進路も少なからず影響を受けたかもしれない。

球界が揺れた菊池雄星の「渡米宣言」

田澤は翌2009年にメジャーデビューすると、2013年には71試合に登板。上原浩治投手らとブルペン陣を支え、6年ぶりのワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。長谷川滋利投手、上原に次ぐ日本人歴代3位の388登板を果たした後、BCリーグの埼玉や台湾、メキシコを渡り歩き、2022年に古巣のENEOSへ復帰。今夏の都市対抗で16年ぶりに登板するなど、38歳となった今も懸命に右腕を振っている。

過去には森井と同じく、日本の高校から直接メジャー挑戦を夢見た有望選手が岩手県にいた。

菊池雄星投手は、花巻東3年時の2009年選抜で準優勝、夏の甲子園も4強入りに貢献。最速154キロを投じる左腕の進路は、これまでとは違った形で世間の注目を集めることになる。

それは、高卒後すぐに米国へ渡り、メジャーリーガーを目指すというものだった。ドラフト1位候補の高校生が、直接米球界入りとなれば史上初のケースとなる。前年の田澤に次ぐアマトップクラス選手の表明に球界は揺れた。