両親が帰ってこず、ずっと泣きながら待っていた記憶
義治さん(35歳)は、両親の離婚後、母親と暮らすが養育が困難となり、4歳のときに児童養護施設に入所。高校卒業まで生活。
両親が帰ってこず、ずっと泣きながら待っていた記憶がある。父親のスクーターの前に乗ってパチンコによく連れていかれ、床に玉が転がってたのを覚えている。両親は頻繁にけんかし、寝たふりをして言い合っているのを聞いていた記憶がある。父親は酒をよく飲み、怖かった。
両親が別れた後、母親と東京に出てきてからも、母親がずっと父親のことを悪く言い続けるので、そういうイメージしかない。でも実際に父親から殴られたりはしなかった。母親は夜の仕事に義治さんを一緒に連れていき、グラスにポッキーが入っているのを見て不思議に思った記憶がある。母親が義治さんを育てることが次第に困難となり、児童養護施設で生活するようになった。
父親の金の使い方が荒く、水道、電気、ガスを止められた
浩二さん(23歳)、大学4年生。母親について記憶にあるのは、家を出ていくときの姿だけである。その後父親は覚醒剤で捕まり、父方の親族の家を転々とする生活で、父親とはほとんど一緒に生活しなかった。親族は朝鮮学校の教育を受けていたため、日本の教育を受けさせたくないという思いが強く、小学校には通っていなかった。
中学1年生のときに祖父がやっていた造園会社が倒産し、そこで働いていた父親が失業した。その後父親は就職せず、生活保護を受給しながら父と妹の3人で生活するようになった。父親の金の使い方が荒く、水道、電気、ガスを全部止められて、父親に公園の水をくんでこいと言われ、カセットコンロでお湯を沸かしてお風呂に入る生活であった。ご飯も食べられず、無人販売の野菜を盗んだり、父親から友達やおばさんから金を借りてこいと言われたりしたこともあった。