「生」と「死」が隣り合わせの状態

「海に吸い込まれていく感覚は、40~50メートルの先の世界で生じるものです。そのときは70メートルくらいの練習をしていたのですが、『先輩たちが言っていた「海に溶ける」というのは、こういうことなんだ』と思いましたね。

深く潜っていくにつれて、手足の毛細血管の血流がなくなって、手足そのものが消えていくように感じたんです。不思議な感覚でした。このまま潜り続けていけば、自分は死んでしまう。それでも、できることなら、ずっと深く深く落ちていきたいとも思う。そのとき、『生きている』という実感が胸に湧いてきました。海の中で『生』と『死』が隣り合わせの状態でせめぎ合っていた、と言えばいいでしょうか。

そんなふうに海に潜っていると、そこでは生と死が一体のものであると強く感じます。生きているから死がある。潜るという行為は、生の世界から死の世界に近づくことに似ているように思います。たぶん私がそう感じるのは、潜ることによって『死』の隣にある『生』のほうに意識がフォーカスされていくからだと思います。水中という『死』に取り囲まれた場所だからこそ、くっきりとする『生』の実感がある。その実感に私は言葉にならない幸せを感じてきたんですね」

当時の女子世界記録、106メートルを成し遂げた際の廣瀬さんの潜水(「HANAKO」YouTubeチャンネルより)

少しだけ「生まれ変わっている」ような気がする

――フリーダイビングのもたらすそんな感覚を、廣瀬さんは求めている?

「すごく偉大なもののバックアップがあるような気がするんですよ。自分が生命の個体であるという実感があって、深く潜るたびに何かが洗い流されていく感じがします。息を止めて潜るトレーニングを続けていると、『苦しい』という状態をコントロールできるようになる。だから、ボトムに潜っていくと、『私はこの場所でずっと生きていける。もう息もしなくていい』という気持ちにさえなるんです。そう感じるのは、生命がもともと海からやってきたからかもしれませんね。

でも、やっぱり私は陸で生きている人間だから、次第に呼吸の欲求が水の中にいると始まるわけです。水面に上がっていくことを『コントラクション』と言うのですが、自分の脳が『呼吸をしなさい』と身体に命じているのを感じる。筋肉の痙攣けいれんが気管支の辺りから、ぐっ、ぐっ、という感じで始まって、低酸素による窒素酔いの反応も起こってくる。そうすると『夢の中』から目覚めるように、周囲の人たちのことや、普段の生活や記憶が頭の中でリアリティを持ち始め、『みんなの待っているところに帰るべきだ』と思う。

コントラクションの過程では、そんなふうに人間としての感情がちょっとずつ戻ってきて、それが浮上とともに膨らんでいく感じがします。ああ、私は陸で生きている『人間』なんだ、と思うんです。その感覚は深く潜れば潜るほど、私にいつも新鮮な感覚として体験し直されていきます。未知の場所に行く前の新しい緊張、新しい不安、新しいプレッシャー。その都度、新しい気持ちが芽生える。海の中で純粋な生命としての個体に変わり、そして、上がってくると、そのたびに自分が少しだけ生まれ変わっているような気がするんですよ」