現代人1日分の情報量は平安人の一生分
インターネットが身近なものになり、私たちが日常的に得られる情報量は膨大になりました。地球の裏側に住む人のSNSには数秒でアクセスできますし、自宅にいながら世界中の論文を読んだり、国会図書館にアクセスして、何百年も前に書かれた文献に触れたりすることもできます。
「知りたい」と思ったらすぐに情報を得ることができる、とても便利な時代が到来しました。現代社会に生きる私たちが1日に得る情報量は、江戸時代の人が1年で得る情報量に匹敵するとも言われています。それどころか、平安時代の人の一生分とも言われているのです。
それだけの情報量に瞬時にアクセスできるようになった弊害が、思考力の低下です。膨大な情報を私たちは、クラウドなどの外部記憶に頼っています。調べればわかることを、あえて記憶しておく必要がなくなったのです。
ここでお尋ねします。
頻繁にコミュニケーションを取っている取引先の正確な部署名を言えますか?
大口顧客のあの会社の本社はどこにありますか?
勤めている会社の住所を番地まで言えますか?
上司の下の名前は何でしょうか?
所属している部署の電話番号を知っていますか?
友だちや家族の電話番号はどうでしょうか?
すべてを記憶しているという方は、ほとんどいないのではないでしょうか。私たちは、覚えておく必要がないことは記憶しません。
カレーを作ろうと思っても、材料がないと作れませんよね。思考も同じで、記憶している情報、つまり材料がなければ、考えることができないのです。
情報や知識が少ないために、わからないことにぶつかっても考えることができない。そうすると、検索するというアプローチしかできなくなってしまうのです。調べればわかるため、考えるよりも先に「調べよう」と思ってしまう。こうして考える機会がどんどん失われていきます。このくり返しにより、私達の思考力は知らないうちにどんどん弱くなっているのです。
では、どうすれば考える力を育てることができるのでしょうか。
情報を暗記して、知識を増やせばいいのでしょうか。
確かに知識を増やすことはとても大切です。ただ、知識さえ増やせば思考力が身につくわけではありません。思考力を高めるためには、知識だけでは不十分です。