嘉子は「夫婦の間には雑草が生えやすい」とアドバイス

裁判官だった伊藤政子さんは、結婚したとき、嘉子さんが言ったこんな言葉を振り返ります。

「夫婦の間には雑草が生えやすいものです。結婚生活を続けるためには、その雑草を小まめに取り除くようにすることですよ」(『追想のひと 三淵嘉子』)

嘉子さんたちはお互い連れ子を抱えての再婚ですから、不安もあったでしょう。また、夫婦生活をしていく上では、雑草が生えてくることもあったでしょう。それでも嘉子さんがあえて再婚しようと思ったのは、乾太郎さんへの愛情はもちろんのこと、「家族」というものへの強い思いもあったのではないかと私は思います。

なぜなら嘉子さん自身、両親ときょうだいの愛情をたっぷりに注がれ、育ってきたために、「家族」への思い入れがあったし、新しい家族を作ることへの自信もあったでしょう。しかも、再婚相手は同じ裁判官同士。守秘義務があるので事件の詳細などについては話すことはできないにしろ、苦悩を分かち合い、理解し合えるパートナーでもありました。

家庭でも仕事場の裁判所でも人知れず苦労を重ねていた

再婚してから16年目。昭和47年(1972年)6月、嘉子さんは新潟家庭裁判所の所長になります。新聞には「わが国で初めての女性の裁判所長が十五日付で誕生」とあり、嘉子さんの裁判は男性だけで運営されるべきではないという談話も掲載されました(朝日新聞、昭和47年6月15日付)。その後、浦和、横浜と、あわせて3つの家庭裁判所の所長を経験しています。女性の裁判所長は日本で初のことでした。

佐賀千惠美『三淵嘉子の生涯 人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)

女性を一段低く見る風潮が残っていた時代に、男性の上に立つと、反発されがちなもの。東京家庭裁判所の参与員・土肥茂子さんはヨーロッパの香水をお土産に持って行ったときのことをこう振り返っています。

「三淵さんは、丁寧にお礼を述べたあと、『でも、あたくしは、香水をつけないのよ。法廷で、香水のにおいがすると、書記官が気になるらしいの。だから、もう若いころから、香水なしで過ごしているのよ』といった。その言い方がサッパリしているので、贈った方も、全然、傷つかなかった。だが、男性の中で、人知れず苦労を重ねたであろうことは、十分に想像された」(『追想のひと 三淵嘉子』)

豪快なイメージが強い嘉子さんですが、男社会で女性が上に立つのは非常に困難なこと。いろいろな苦労もしたためでしょうが、嘉子さんは実は細かな気配りの人でもあったのです。

(取材・文=田幸和歌子)
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