事実上の自治社会を構成するセンチネル族

この諸島の自然の美しさは巨大な観光産業に発展する可能性を秘めているが、サバイバル・インターナショナルのような人権機関は、一部の観光客が北センチネル島への接近を試み、観光客と島民双方に危険が生じるのではないかと妥当な懸念を抱いている。

マキシム・サムソン著『世界は「見えない境界線」でできている』(かんき出版)

センチネル族の写真を撮ったり、ビデオに撮影したりすることは禁固刑に値する犯罪であり、インドの治安部隊が島の周辺でパトロールを行っている。

しかし2018年になって、インド政府はこの地域の29の島の訪問要件を緩和した。これによって、センチネル族が搾取や望まない関与を受ける可能性が高まった。実際、このパトロールもチャウに突破されたことがあるのだから、同じことが繰り返される可能性は否定できない。

大きさはマンハッタンと同じくらいだが、開発という点で真逆にある北センチネル島は、境界の決定という点において、世界で最も興味深い場所の1つである。インド政府は島民の生存については一定の責任があるのを認めているが、この島が(とりわけ)アッサム州や西ベンガル州のような自治行政区画であるとはひと言も言っていない。

現代の物の見方や構造を当てはめるのは無理がある

それに対して、センチネル族は自分たちをインドやほかの国の一部であるとは認めておらず、事実上の自治社会を構成している。このことはチャウの死後、インド政府も米国政府も――さらにチャウの家族も――センチネル族を告発しなかったのに、チャウの島への接近を助けた7人の漁師を、彼の命を危険にさらした罪で告発していることからもわかる。

また、漁師たちはセンチネル族がチャウの死体を埋めるのを見ていたのだから、死体の回収は可能と言えば可能だったのだが、島を事実上支配しているコミュニティへの敬意と、島民が免疫を持たない病気を蔓延させてしまうのを恐れて、断念せざるを得なかった。

それを考えると、この境界は島民を部外者や、その統治体制や法体制から守ったり、島独自の法体制を避けるように部外者に警告したりするだけのために存在しているわけではない。“現代世界”に生きる私たちが、社会や協調、交流という概念を理解する手段としても存在しているのだ。

両者の世界観やコミュニケーションのかたちがまったく違うことを考えれば、これは克服するのがきわめて難しい境界であると言える。現代の物の見方や構造を、同じ世界観を共有していない集団に当てはめるのは無理がある。

“北センチネル”や“センチネル族”という呼び名でさえ、彼らが自分たちのことをどう表現しているのかを知ることもできない私たちが勝手に使っているにすぎない。言語とは、世界中の境界を創造し、維持するうえで重要な要素である。

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