妻氏婚の男性が実体験してわかったこと

社会学者の中井治郎さんは、妻の姓を選ぶ「妻氏婚」をした。その経験を綴った著書『日本のふしぎな夫婦同姓』にはこんな一文がある。

「結婚する際に妻の姓を選んだ男性は口をそろえてこう言う。『苗字を変えるのがこんなに大変なことだとは知らなかった』。そうそう、僕も……」

社会学者としては結婚改姓が面倒であることは耳学問で知ってはいたが、自身も妻の姓を選んだことでその大変さを思い知らされたと振り返る。

妻となる女性に出会ったのは2019年、41歳の時だった。2人で結婚の話をし始めた頃、彼女からこう言われた。「うちは3人とも女だから、私が結婚したらうちの苗字はなくなっちゃうんだよね」と。姉と妹はすでに嫁いで姓が変わり、彼女自身も夫婦同姓を望んでいたが、中井さんはその言葉を聞いて愕然としたという。

「彼女は、僕に対してあきらめているんじゃないかと思ったんです。どうせ男の人は変えてくれないからと。僕も自分の姓を変えることは想定してなかったけれど、その瞬間、『いや、俺が変えるよ!』と言っちゃったんですね」

衝動的な思いつきだったが、後々、あちこちで面倒が生じていく。中井さんが最初に考えたのは、自分の親族をいかに説得するかということ。まず父に話すと驚いていたが、次男ということもあってか割とすんなり受け容れてくれた。だが、母や女性の親族たちは自分の息子を嫁の家に取られるような思いがあるのか、「寂しい」と言った。

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一方、妻の両親は喜んでくれたが、中井家に対して遠慮もあるようだった。中井さんとしては「婿養子」の重荷も感じてしまう。

「僕らは『家』を継ぐというつもりではなかったし、妻も名前を残せてちょっと親孝行できればという気持ちだった。でも、日本では名字が家族のつながりを象徴するものになっているので、家同士の付き合いの大変さも身に染みました」

仕事では旧姓を使い続けるため、煩雑な手続きに追われた。大学で非常勤講師を務め、雑誌や書籍の執筆、講演を受けるなど、フリーランスの立場では取引先からマイナンバーの提出を求められる。その都度「仕事の署名とマイナンバーに記載された戸籍名が違う」と問い合わせがきた。「中井治郎」の名前で提出した論文など、確認を求められる度に「いや、僕が名字を変えまして……」と報告すると、相手の微妙な反応が気になった。

「婿養子に対する勝手なイメージがあるのか、『大変だね、苦労するでしょう』とか、『それは肩身が狭いでしょう』となぜか同情されることも……。この社会で夫が妻の姓を選ぶことへの偏見も見えてきますね」と、中井さんは苦笑する。