それまで身近な人に向けていた忠誠心を君主に向かわせる
なぜここまで徹底して、商鞅は国民をバラバラに分断しようとしたのか。
氏族制社会では、個人は「目上の者」に従わなければならない。目上の者とは、自分の親であり、本家の家長であり、さらにその上にいるローカル権力者のことだ。そして、君主とローカル権力者が対立したら、自分に身近な方、つまりローカル権力者の側につくのが正しいとされる。このような中で、君主のために命をかけて戦う軍隊など生まれるはずがない。
そこで商鞅は、氏族制を崩し、それぞれが身近な目上の者に向けていた忠誠心をダイレクトに君主へ向けるような仕組みを作りだしたのである。ローカル支配者の権威を否定し権力を解体、そのパワーをすべて君主が吸い上げるのがこの恐怖政治の目的なのだ。ローカル権力者をはじめとするさまざまな反発はなかったか? 大いにあった。従わない者もいたが、商鞅は彼らを潰す方法を取っていく。
漫画や映画『キングダム 遙かなる大地へ』でも描かれた「伍」
「伍」という単位は徴税・相互監視のためだけでなく、軍隊でも採用された。基本的には、「什伍の制」の5家族がそのまま戦場での伍となり、共に戦うのだ。普段はお互い厳しい目で監視し合っている者同士が、戦場では信頼し、かばい合わなければ生き残れないのだから、兵士の気苦労は並大抵ではなかったはずだ。戦場の伍でも連帯責任は有効で、命令違反や失態を犯す者が出た場合、同じ伍のメンバーはともに処罰されている。
『キングダム』で、信が軍に入ったときに伍のメンバーを自由に選び合うシーンがある。すべての家が兵士を出すとは限らないので、什伍の家族で5人が揃わないときは追加メンバーを選ぶこともあったはずだ。ただし現実では、『キングダム』で描かれるほど自由ではなかったと思われる。
分異の令で、個人を親族や宗族から切り離して氏族制を解体し、単婚家族を什伍の制で相互監視させて課税と徴兵の単位とし、軍功爵制で公族や支配層の氏族制まで壊した商鞅の変法。結果、ローカル権力者は解体され、既得権を持っていても功績を挙げられなかった公族や家臣は没落していった。
一方、新たに爵位を得て君主に忠誠を誓う、信のような成り上がりの武将が出現した。国内の有力者の権力を剝ぎ取り、君主の実権を増やしていったのだ。