「ブルシット・ジョブ」より農業のほうが知的で人間的
しかしだからこそ、無事収穫に至ったときの喜びは何にも代えがたいほど大きいのだ。
じつは、私がいま耕作している畑は全体では1ヘクタールくらいあって、その一部を7~8人のメンバーで分担している。大部分が定年後のサラリーマンだ。
彼らに「なぜ農業をしているの」と聞くと、帰ってくる答えは「だって楽しいじゃないか」という。
いま大都市で広がっている仕事は、コンピュータの指令の下、マニュアルどおりに働く「ブルシット・ジョブ」だ。それらの仕事と農業のどちらがより知的で、どちらがより人間的かは、議論の余地がないのではないか。
農業には厳しい結果責任がともなう。いくら頑張っても自然に翻弄されてしまう。しかし、その自然と付き合う手段は、すべて自分で選択できる。
どのように土を作るか、なんのタネや苗を植えるか、支柱をどう立てるか、芽掻きをどうするのか、追肥をどうするのか、虫や動物対策をどうするかなど、自ら考え、実行することは無数にある。
つまり、農業こそ、「自由と自己責任」の仕事といえるのだ。
農業はコミュニティの場
そして、農業は、コミュニティの場でもある。
2023年11月にがんの宣告を受けたあと、度重なる検査や体調不良の結果、私はまったく畑に出られなくなってしまった。
雑草が生い茂り、地主の農家に顔向けができないと心配していたのだが、畑仲間が草を刈り、耕運機をかけてくれた。
そして、2024年の早春、私が農作業に出られない状態が続くなか、仲間が畑に畝を立て、冬越しの栽培が必要なスナップエンドウの苗を植えてくれた。
さらにゴールデンウィークのころには、トマトやキュウリ、スイカなどの苗も植えてくれたのだ。