人権意識を生んだのは「小説」だった?

一方、フーコーよりも19歳ほど年下のアメリカの歴史学者リン・ハントは、別の見解を示しています。

監獄の誕生』から32年後の2007年に彼女が著した『人権を創造する』によれば、18世紀半ばに起きた「書簡体小説」のブームと、その後の読書習慣、とくに小説を読む習慣の普及が、人々の共感能力を伸ばして「人権」の意識を根付かせた、結果として残虐な身体刑は廃止されるようになった、というのです。

書簡体小説とは手紙の形式で書かれた小説で、18世紀のヨーロッパで大流行しました。そのブームの先駆けとなったのが、1740年に出版されたサミュエル・リチャードソンの『パミラ、あるいは淑徳の報い』です。

主人公のパミラは、ある屋敷で働く貧しい召使いです。彼女が両親に宛てた手紙を通じて物語は進みます。彼女は屋敷の若主人B氏から情欲を向けられ、繰り返し誘惑されます。

しかし彼女は、けなげにも貞操を守り続け、その美徳に心打たれたB氏からやがて正式に結婚を申し込まれます。そして屋敷の女主人となり、上流階級の仲間入りを果たす――という、現代の私たちから見ればややできすぎのメロドラマです。

ヨーロッパを小説が席捲した

ところが18世紀の読者には、この小説は衝撃をもって迎えられました。

出版から約2カ月後の1741年1月には早くも重刷がかかり、3月に第3刷が、5月に第4刷、9月に第5刷が発売されました。瞬く間に多言語に翻訳され、1744年にはフランス語版がローマ・カトリックの禁書目録に載るまでになりました。

膨大な数の批評、パロディ、海賊版が執筆され、今で言う「パミラグッズ」のようなものが制作・販売されました。ある村では、第2巻でB氏とパミラがついに結婚するという噂を聞いて、村人たちが教会の鐘を鳴らして祝ったという逸話まで残っています。

『パミラ』の成功を受けて、ヨーロッパでは小説の刊行数が激増しました。

イギリスでは18世紀の最初の10年間に比べて、1760年代には6倍に増加。1770年代には毎年約30点、1780年代には毎年約40点、1790年代には毎年約70点の新作小説が世に出ました。フランスでは1701年にはわずか8点だった小説が、1750年には52点、1789年には112点が出版されました。

リチャードソンが1747年から刊行を開始した『クラリッサ』は、再びベストセラーになりました。また、ジャン=ジャック・ルソーも『ジュリ または新エロイーズ』という書簡体小説を1761年に出版しており、こちらも一世を風靡しました。