今では当たり前の「分業制」を先取り
商売の仕組み作りの面には、目を見張るものがあります。グーテンベルクは15世紀半ばという時代にあって、数百年後の資本主義を先取りするような方法を選んでいるのです。
たとえばグーテンベルクから約3世紀後に出版されたアダム・スミスの『国富論』(1776年)には、有名な「ピン工場の逸話」が登場します。
素人が1人でピンを作ろうとすれば、1日に1本も作れれば上出来でしょう。ところが18世紀の当時の工場では製造工程を分業することで、わずか10人の労働者で毎日4万8000本ものピンを製造できたというのです。針金を作る人、それをまっすぐに伸ばす人、適当な長さに切る人、一方の端を尖らせる人、その反対側の端を丸める人――。スミスは「分業」の重要性を説くために、この逸話を紹介しています。
言うまでもなく、グーテンベルクの印刷事業は「分業」が前提でした。
活字を彫る人、鋳造する人、植字をする人、印刷機を設計する人、組み立てる人、印刷機のオペレーター、原稿の編集者、校正担当者、さらには書籍を販売する行商人まで、たくさんの人が少しずつ分業しなければ成立しない商売だったのです。
設備投資で生産スピードを爆上げ
グーテンベルクの印刷業は労働集約的ではなく、資本集約的な産業だったと言ってもいいでしょう。
手書きの写本でも、写字生と挿絵画家、装丁職人などの分業はあったはずです。が、ごく少人数で製品を生産することができました。反面、生産性は著しく低く、14世紀末の時点では、熟練した筆記者でも1日あたり4~6ページを仕上げるのがやっとでした。新たな文字である「筆記体」の発明というイノベーションを経た上でも、このスピードだったのです。
一方、印刷業では人間の労働者が行う仕事よりも、資本が――設備投資によって入手した機械装置が――行う仕事の割合が増します。結果、生産性は桁違いに上昇しました。
『四十二行聖書』の時点で、2人で操作する印刷機1台で1時間あたり8~16ページを刷り上げることができたと推測されています。1481年版のダンテの『神曲』の場合、1台の印刷機で1日に1000枚以上の印刷に成功したと伝えられています。
グーテンベルクは、資金を調達し、設備投資を行い、たくさんの従業員とともに製品を生産しました。イタリアなどで発展しつつあったマニュファクチュア(工場制手工業)を参考にしたと見られています。このような資本主義の萌芽とも呼べる商売の仕組みに、活版印刷というイノベーションを組み合わせたのです。
たしかにグーテンベルク以前にも活字を発明した人々はいましたが、それを商売として成り立たせたことは誰にもなしえなかった偉業でした。