「信者秘書はいますよ。優秀なんだ」

一連の取材を行なったのは1990年ごろだが、いまも統一教会は国会議員のもとに秘書を送り続けていると見て間違いない。安倍銃撃事件以降、ある大臣経験者は私に「信者秘書はいますよ。優秀なんだ」と語った。「昔ほどではないが、いますよ」という古参信者もいる。

安倍元首相の銃撃事件の後、自民党は所属議員379人に統一教会との関係を調査する「点検」を行ない、教団と何らかの接点がある議員が179人と、実に半数近くに上ることを発表した。

しかし、この「点検」の中身は、単なるアンケート調査であり、議員の自己申告に依拠している。仮に教団と深い関係にあっても答えたくなければ回答しなければいい。この調査結果は関係を自ら認めた議員が179人ということを示しているにすぎず、そのまま受け取ることなどできない。ましてやこの調査には、信者秘書の存在を確認する項目はない。教団と関係を持つ自民党議員の数はもっと多いはずだ。

「信者の国会議員を生む」という夢

「Fレディー」(※)が議員秘書として永田町に侵食しはじめた1986年、統一教会は信者を国会議員として国政に送り込むことも画策していた。同年の衆議院議員選挙には黛敬子(埼玉2区)、細野純子(愛知6区)、そして阿部令子(大阪3区)の3人の女性信者を、表向きは教団との関係を伏せて擁立している。

※「ファーストレディー」の略。秘書としての振る舞いを叩き込まれた女性信者

結果は全員落選に終わったものの、阿部令子は初出馬にもかかわらず7万5749票を獲得し、定数5の6位で次点になった。

その後、阿部は1990年の衆議院議員総選挙に出馬すると、選挙戦途中で自民党から追加公認を受け、同党で全国唯一の女性候補となったが、7万9102票で再び次点に終わっている。

阿部は1988年7月から、自民党の大物代議士で大蔵大臣、厚生大臣などを務めた渡辺美智雄衆議院議員(1923〜1995年。中曾根派を継承して渡辺派領袖。長男は元衆議院議員、元参議院議員でみんなの党初代代表の渡辺喜美よしみ)の秘書として仕え、「ミッチー(渡辺の愛称)の秘蔵っ子」などといわれており、渡辺本人もかなり熱を入れて阿部を応援していたことが、当時の「後援会のしおり」から窺える。