鎖国が日本人の心理に与えた影響

そのおくれを一挙に取り戻そうとしたのが、徳川幕府を倒した明治政府でした。彼らは日本の伝統や社会のあり方、継承されてきた文化の善し悪しなどについて一切検証せず、過去の日本に蓋をして、欧米の猿マネをはじめました。西洋かぶれがあまりにも極端なので、時々、国粋主義が台頭しましたが、たがいに検証し合うことはありませんでした。

そして、そんな明治政府の行きついた先として、先の敗戦を迎えると、戦争を招いた悪い因習におおわれた悪い社会として戦前はすっかり否定され、まったく検証されずに否定されました。

戦前の善し悪しを検証して、欠点は否定し、次代に受け継ぐべき良風はしっかり継承する、ということができれば、日本人のアイデンティティはもっと守られたでしょう。しかし、実際には、戦前は悪い時代だったというレッテルを張られ、蓋をして終わりにされたのです。

その結果、日本の景観も、日本人のライフスタイルも、ものの考え方も、断絶してしまいました。日本人は伝統という根っこを失ってしまいました。

戦後にせよ、高度経済成長にせよ、バブルにせよ、失われた30年にせよ、そのたびにちゃんと検証していれば、日本はもっと持続的に成長し、生きやすい社会になったように思います。しかし、鎖国から覚めてみれば欧米に圧倒的なおくれをとっていた、という焦燥感が、検証する暇があるなら先に進もう、という焦りとして、いまなお私たちに影響をあたえているように思います。

出島における日蘭貿易(画像=大英博物館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

日本人が検証しない理由について、私の説に異論がある人もいるでしょう。それはそれで構わないのです。ただ、歴史を学んでこそ、こうして現代の問題がなにに起因しているのか、本質的に考える契機になる、ということは伝わったのではないでしょうか。

アイデンティティの根幹にある歴史

アイデンティティの喪失について少し触れましたが、私たちのアイデンティティを確認するためにも、歴史を学ぶことが不可欠です。

2024年3月の訪日客数は、単月ではじめて300万人を超えました。それ以外に、いまや仕事でも外国人との接触が避けられない時代になり、今後、ますますそうなっていくと思われます。そのとき問われるのは、日本で生まれ育った私たちは、外国人とどう違い、どんな歴史と伝統を背負い、どんな長所と欠点があるのか、ということです。

人間はみな平等なのだから、という姿勢ではダメです。それでは外国人に受け入れてもらえません。外国人と接すると、彼らが歴史や伝統をふくめた自身のアイデンティティに誇りをいだき、相手のアイデンティティについて知りたがっていると感じます。

彼らは自分の優位性を感じたいのではありません。たがいに尊敬し合うためには、たがいの差異を知り、それを尊重し合う必要があると認識しているのです。

私たちも、それに応えるためには、自分たちの歴史を知り、外国人の歴史も知ることが大切です。ちょっと風呂敷を広げた表現にはなりますが、世界中に友好の輪を広げたければ、たがいの歴史を知ることが不可欠だといえます。歴史を知らなければ、いまなお世界各地で深刻な対立が絶えない理由もわかりません。