バリ島「ケチャダンス」はドイツ人によって創られた
インドネシア・バリ島の観光アトラクションの一つにケチャダンスがある。上半身裸の男性が50名ほどで円をつくり「チャッ、チャッ、チャッ」と合唱しながら呪術的な踊りを舞う。古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』をベースにした舞踏劇である。現地を訪れるツーリストのほとんどはバリ島の伝統芸能だと思っているが、じつはそうではない。近代的な発明品である。しかも創作したのはインドネシア人ではなくドイツ人の芸術家ヴァルター・シュピース(1895~1942)だ。
第一次世界大戦後の1923年ごろにインドネシアに渡った彼は、その後バリ島に住み着いた。当地の文化や宗教がもたらすヨーロッパ人にとってのエキゾチシズム(異国情緒)、美しい自然、そして人びとの人間性に魅了されたのだ。
当時のバリ島は、現在のように観光を基盤とする経済的な安定を築いていなかった。現地の貧困と窮状を目の当たりにした彼は地元の力になれる方法を考えるようになっていった。そんなある日、ひらめいたのが伝統文化としてのケチャダンスの発明だった。「これを観光資源化することで地域社会に経済的な安定をもたらすことができるのではないか」と。
音楽、ストーリー、ダンスといった要素は日を追って改良されていき、1930年代半ばには鑑賞するべきアトラクションとして広く認知されるようになった。
ケチャダンスは土着化していったが、この「発明された文化」→「伝統芸能化」という流れは単なる一方通行ではない。文化となることで現地社会のアイデンティティや人びとの考え方を刷新していくからだ。そしてこの意識の変革が舞踊の改良やさらなる伝統文化の発明につながっていくのである。
文化や伝統は、日々更新され続けている
これらの例からみても理解できるように、文化は過去から現在に至るまで連綿と続いてきた伝統的遺物ではなく、近代に入って「創られた」ものとして捉えることができる。
文化や伝統は過去の遺物が冷凍保存されたまま、変質することなく現在まで存在し続けているわけではない。創造と変化を繰り返しながら、日々更新され続けているのである。
こうやって創られた起源を暴露することは、我々を自由にするかもしれない。「男は仕事をし、女は家庭を守るべき」「愛し合う伴侶と生涯添い遂げるべき」といった価値観もある時点から発生したものであることがわかれば、その拘束力が絶対ではないことがわかるからだ。