昔は田畑で働いているだけでよかったが…

「仕事がないからです。家族親戚の中で収入を得ているのはたった2、3人なんてところも多いです。その2、3人ももらえて月に1万ルピー(約1万円)くらい。これでは生活ができません。昔は田畑で働いているだけでよかったのですが」

ネパールの山間部だっていまや資本の荒波に洗われている。モノがあふれるようになったし、それを買うための現金が必要だ。世界的物価高の影響も大きい。スマホもいまでは生活インフラのひとつだ。誰もがFacebookやTikTokを使いこなしている。

「みんなiPhone14が欲しいんですよ」

自嘲気味にクリシュナさんは呟いた。そしてお金のために山を出て、カトマンズすらすっ飛ばして海を越え、日本に渡る。残された里は過疎化していく。それでいいのかと感じながらも、クリシュナさんはこの学校を続けている。

「いろいろな問題があっても、バグルンの人にとって日本行きは希望なんです。だからこの仕事をやっています。家族や村が壊れてしまうことに手を貸しているような気持ちになることもあります。でも、日本語学校の需要はとても大きいんです。私がやらなくても、ほかの誰かがやりますよ」

写真=iStock.com/robas
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来日経験のある人たちで溢れる街

どこに行っても日本語が通じる町バグルン・バザールを歩いていると、日本語で声をかけてくる人が次々に現れる。

「東京の新大久保に住んでコックをやってたよ。駅前の『鳥貴族』、よく行ったね。懐かしいよ。いまは近所で雑貨屋やってる」
「工場で働いてたけど、コロナで減産になって帰ってきた。日本は楽しかったけど、日本人は働きすぎだよ」
「横須賀のカレー屋でいまも働いてる。ちょっと帰省してるんだ」

なんと「NISSAN MOMO」という食堂まで見つけた。チベット・ネパール風の水餃子モモを出しているのだが、なぜNISSANなのか店主に聞いてみれば、「父親とその友人が栃木県の日産工場で働いてたんだ。この店はそのお金で建てた。俺もいま日本で働けるようビザをアプライ(申請)してるとこ」なんて話す。

真鍮しんちゅうの食器屋に入ってみれば、「うちの食器を買って、日本に持っていく人が多いんだ。自分たちが働いているカレー屋で使うって」と教えてくれる。きわめて「日本濃度」が高い街なのだ。

ちなみにバグルン・バザールからすぐ東には、カリカ・バガワティ寺院というヒンドゥー教のお寺がある。由緒正しい名刹で、参拝者で賑わっているのだが、「インネパ」の中にはこの「カリカ」から名前をもらっているレストランもある。