地元の料理は“インネパ”とはまったく別もの
だが観光客ではなく地元ネパール人が通う食堂に入って、「カナ(ごはん、食事の意)」を頼んでみると、外食用インド料理とはずいぶん違うものが出てくる。
中央に白米が盛られ、そのまわりを囲むように、豆の煮込みスープ、青菜の炒め物、じゃがいもの炒め煮、それに大根の漬物が並ぶ。どれもやや塩気が強いが、あっさりとした味つけだ。どこか日本の山里に通じる味のようにも思った。
カレーが一品つくこともあるが、たいていスープカレーのようなさらさら系で、スパイスも控えめだ。こうしたいわゆる定食的なセットは、豆(ダル)と米(バート)がベースとなっていることから「ダルバート」と呼ばれる。よく日本の「ごはん+味噌汁」にたとえられるが、これがネパール人の食の柱だ。
それは「インネパ」で出されている「ナン+カレー」とは、別の根から生えている柱のようにも思える。世界が違うのだ。
ネパールは南の大国インドの影響が大きく、インド料理も浸透してはいるのだが、家庭で出されているのはあくまで根の異なる「カナ」だ。それを食べて育ったネパール人が、日本にやってきてインド料理のコックになるというのは、かなり飛躍した挑戦なのだと、僕はダルバートを食べながら実感した。日本人が海外に行って中華料理のコックになるようなものだろうか。
地方に来ても出稼ぎあっせん業者が目立つ
僕はポカラからバスに乗り込んだ。市街地を出ると、すぐに山道へと入っていく。ところどころで舗装が切れ、河原のようなガタガタ道や、ガケすれすれのスリリングな細い道をどうにか走っていく。途中で一度、後輪がパンクし修理に2時間ほどかかったりもした。交通インフラは20年前とあまり変わっていないようだった。
わずか50km程度の距離なのに半日近くかかって到着したバグルン郡の中心地、バグルン・バザールは、その名の通りなかなかに賑やかな場所だった。幾筋もの道に商店があふれ、色とりどりの服や食品や雑貨やスマホや家電やらが並ぶ。なるほどバザールだ。古くから交易の拠点だったという話を思い出す。そして街を見下ろすように、白銀の峰が美しくそびえる。標高8167mを誇るダウラギリだ。思わず見とれる。
なんとも風情のあるヒマラヤのフトコロの市場といった感じだが、こんな地方に来てもやはり目立つのは海外出稼ぎのあっせん業者だ。それも「日本行き」を謳う会社が多い。
「バグルン・バザールは小さな街ですが、うちみたいな企業が10以上あるんですよ」
日本語学校を営むクリシュナさんは言う。