スズ子が作った「家族の形」

スズ子が作っていく「血がつながっていても、つながらなくても家族」も、このドラマの大きなテーマのひとつだ。父・梅吉と母・ツヤが作った「はな湯」という場所は、六郎、ゴンベエ(宇野祥平)、アホのおっちゃん(岡部たかし)、そしてそれを作った梅吉自身と、「枠からはみ出した人」たちにとって温かい居場所だった。

そんな「はな湯」で育ち、梅吉の「ほっとけない精神」と、ツヤの「義理と人情」を引き継いだスズ子は、小夜(富田望生)やタケシ(三浦獠太)や小田島(水澤紳吾)など、世間では「はみだし者」とされる人たちを受け入れ、“家族”になった。

「社会的包摂の理想」「多様性の重視」などと大上段に構えるのではなく、作り手の静かな、それでいて切なる願いの表れとして、こうした人たちの存在があった。

クセが強い朝ドラだった

老若男女が楽しめる作りで、「ユニバーサル朝ドラ」の新境地を開いた『らんまん』(2023年前期)と違い、『ブギウギ』は万人受けする朝ドラではないのかもしれない。「クセつよ」の部類に入る朝ドラだ。圧倒的に陽気でポップな「東京ブギウギ」を物語のターニングポイントに置きながら、ドラマ全体のトーンはジャジーでファンキーな「ラッパと娘」だった。これが本作の中で最も多くかかった曲で、「楽しいお方も 悲しいお方も」という歌詞がそのたびに違う意味を持って響いた。

しかしこの「バドジズ」に乗れなかった視聴者もいた。本作の独自のリズムに乗れなければ「歌」や「表情」など言外で表現される重要箇所や、物語の文脈をキャッチできずにポカンとなってしまう。そういうタイプのドラマであることは否めない。SNSでは「説明が足りない」「人物が何を考えているのかわからない」「すっ飛ばしが雑」という趣旨の投稿が見られた。筆者の判断でかなり表現をソフトにして要約したが、もっと強い言葉で、しかも特定の誰かを攻撃する投稿もしばしば見かけた。

何を好み何を嫌うか、何を発言するかはもちろん自由だ。けれど、作品に対してではなく特定の個人に向けた誹謗中傷は、向けられた人はもちろんのこと、向けた人も、側から見ている人も、誰も幸せにしない。的を射た批判や優れた批評は文化を育てるが、誹謗中傷やヘイトは何も生み出さないどころか、せっかく育った文化を萎縮させ、先細りさせかねない。